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このページでは芙苑晶のソロ活動以外の仕事を紹介しています。
ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット
( Far East Acid House Quartet ) ( 1988 - 1997 )
 
アシッド・ハウス/レイヴの草分け的バンド。サイケデリック・バンド「淫心」が母胎になってできたバンドで、1988年7月、神秘主義とLSD体験、サイケデリック・アートに傾倒していた4人の若者、田嶋エリサ(ダンス、パーカッション、シタール)、スペースDJリョウ(ターンテーブル、ビート)、市川カヲル(ウィンド)、芙苑晶(シンセサイザー、キーボード、テレミン)により、ロンドンで 結成。

同年帰国後、すぐに日本でのイリーガル・レイヴをおこなったのを出発点とし、以後、日本とヨーロッパを往来しながら内外で数々のイリーガル・レイヴ・パーティを挙行、伝説を創り上げた。

倉庫や廃墟のビル、野外スペースなどで行われる彼らのレイヴは、基本的にすべて、シークレット・パーティとして、おもに場所や日時はメディアに公表されず、特定の人たちだけが特定の方法で参加することができた。

こうしたいわゆる「イリーガル・レイヴ」において、おそらく日本で最初のバンド(世界初の説もあり)ともいわれる彼らは、その独特なレイヴ・スタイルから一部に熱狂的ファンを持った。


アシッド・ハウスの東洋における第一人者とされ、こうしたイリーガル・レイヴに特化したバンドとしては、今でさえおよそ世界にも稀な、いまだにフォロワーの現れない、ワン・アンド・オンリーなグループであると言えるだろう。

しかも、彼らのレイヴ自体も、ふつうのパーティとは違っていて、一種の古代宗教の儀式にも似た「秘儀としてのレイヴ」というテーマを持った、特異グループでもあった。

そこではダンサーである田嶋エリサが つねに一種の生贄のような存在=巫女として立ち現れ、司祭である他の三人のミュージシャンたちの奏でる呪術的なダンス・ミュージック=トランス/アシッド・ハウスによって、生と死の儀式を執り行うというコンセプトが秘められていた。

いまではほとんど伝説的な、田嶋エリサが踊りながら最後は裸になり、鶏を殺してその生き血を浴びるなどのパフォーマンスがそれを象徴している。彼らは当時その隠された意味をみずからとくに釈明しなかったものの、その異様なステージの空気に反応したファンたちも、半裸になって踊り始めるなど、伝説は数多い。

クラブ等での屋内スペースでのツアー活動を停止した92年以後、実質的にレコーディング・バンドとなった彼らは、95-97年、メンバーの相次ぐ死により、合計5枚のアルバムを遺して、惜しまれながら解散するが、解散後も依然として熱烈なファンを持ち、カリスマ的な人気を保持するカルト・グループである。

そしてまた、彼らは、あらゆる意味において、アンダーグラウンドの精神を徹頭徹尾貫いたという点で日本音楽史上にも稀有なグループでもあった。

そんな彼らの先駆性は、音楽やレイヴにとどまらず、皆で内外にコミューンを形成、国家内国家を宣言したり、のちにはマスコミ拒否のバンドとして逆に一部でカリスマ的に知られたりもした。
この点で、反体制のリーダー、サブカルチャー・リーダー的な評価も高く、90年代における60/70年代ブームの先駆的存在でもあり、またのちに誕生した「ケミカル世代」とか「ネオ・ヒッピー」「テクノ・ヒッピー」といった言葉とその日本における流行も、彼らのライフスタイルから生まれたとも言われている。

こうして、バンド活動後期には、アンダーグラウンド・シーンにおいてではあるが熱狂的な支持を得て、一種の「社会現象」と呼ばれるほどのカルト・グループになった。

> メンバー
 
  • 田嶋エリサ(ダンス、パーカッション、シタール、TB-303)

  • スペースDJリョウ(ターンテーブル、プログラミング、TB-303)

  • 芙苑晶(シンセサイザー、キーボード、テレミン、TB-303) [バンドリーダー]

  • 市川カヲル(ウィンド、ディジュリドゥ、ベース・シンセサイザー、TB-303)

 
> 活動時期
1988.7.18 - 1997.9.29
 
> 活動エリア
ヨーロッパ、日本、アジア諸国の一部(インド、ネパールで公演)
 
> ディスコグラフィ 
 
> 関連すると思われるジャンル
ハウス、トランス(サイケデリック・トランス)、ゴア、テクノ、サイケデリック、アンビエント、IDM


> 歴史
  • 1986〜87年にかけては「淫心」という名前で5人編成で活動しており、サイケデリック/オルタナティブ的な混沌としたサウンドだったが、マダム呪々脱退後4人編成となった彼らは、88年の夏、ヨーロッパに渡る。

  • ロンドン滞在中にアシッド・ハウス・ムーヴメントとレイヴ・カルチャーに代表される「セカンド・サマー・オブ・ラブ」に遭遇し、衝撃を受ける。そしてこれを機会に、アシッド・ハウスのビートを取り入れ、バンド名も「Far East Acid House Quartet, Otherwise the LSD Liberation Front(ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット、もしくはLSD解放同盟)」とあらためて再出発。

  • バンド名がこれに落ち着くまでには、いくらか複雑な経緯を経なければならなかった。
    現在分かっている範囲で記せば 、およそ以下の通りである。

    1)
    当初は「LSD Liberation Front(LSD解放同盟)」というバンド名で、ロンドンのガレージでのギグに出演した。

    2)
    メンバーはこの名前が気に入っていて、デビュー・アルバムもこの名義で出したかったが、プロデューサーのDavid Laurenz氏に「イギリスの放送局は保守的なので、そのバンド名だと曲がかけてもらえない恐れがあるので、名前を変えた方が良い」と言われた。

    3)
    そこでメンバーは相談して、第一案の「LSD Liberation Front」と、第二案の「Far East Acid House Quartet」という、二つのバンド名を合体させ、「Far East Acid House Quartet, Otherwise the LSD Liberation Front(ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット、もしくはLSD解放同盟)」に落ち着いた。

    4)
    1st アルバムはこれでリリースされたが、あまりに長いバンド名なので、通称であった「Far East Acid House Quartet (ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット)」のほうがやがて定着した。

    ここでは通称にしたがって、「Far East Acid House Quartet (ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット)」で記述することにする。
 
ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット - Far East Acid House Quartet
  • 同年、かれら自らのLSDやメスカリン摂取による自我の崩壊と覚醒の体験と、フランスの詩人アンリ・ミショーのメスカリン詩集のイメージと重ね合わせた1st アルバム 『十億の神経の針(A Billion Nerve Needles)』をNYのアンダーグラウンド・レーベル Nerve Nets Records よりリリース、アシッド・ハウスの草分けならではの特異で幻想的なサウンドを生み出した
 
  • 帰国後すぐの1988年11月19日(?推定)、彼らは野外レイヴ・パーティを大阪の郊外の野外スペース(万博公園跡付近の広場)でおこなう。この「レイヴ」は、おそらく日本初と思われるもので、 わずか40-50人ほどが集まった小さな規模のパーティである。

  • この年より、日本とヨーロッパの各地の野外フィールドで、「レイヴ・ビー・イン(Rave Be-in)(ビー・イン(Be-in)とは、ヒッピーの集会を意味する言葉)」と題する、シークレット・レイヴ・パーティのシリーズをおこなう(〜1994年頃まで)。

  • いずれも、廃墟、倉庫、野外のスペースなどでおこなわれるシークレット・パーティであった。それがまた彼らのバンドとしての思想であり哲学でもあった。つまり、彼ら自身が語っていたように、彼らにとっては「レイヴ」とはすなわちイリーガル・レイヴにほかならず、パーティは全てシークレット・レイヴとしておこなわれ、特定の人だけが会場や開催期日を知ることができた

    「レイヴの一回性・祝祭性を純粋に保つ」という目的により、記録は残されず、写真撮影、録音などは一切禁止されていた。もし発見された場合は没収となった。
     このため、知られている限り、彼らのレイヴはいっさい記録に残っていない。

  • ライブではOHP投影機に、インクに油などを流しながら幻覚的な映像を背景に映すなどして、あたかも60年代末のサイケデリック・コンサートを彷彿とさせる演出の中でダンサーの田嶋エリサが彼女のパートナーでもあった鳴海ナナを迎えて熱狂的に踊り狂うなか、他の三人がオリジナル曲を交えつつ即興演奏を繰り広げるという、通常のテクノ/ハウス・バンドとはひと味もふた味も違うスリリングなものであった。

  • かれらはまた、その初期にはハプニング・バンド的な側面でもまた知られた。DJリョウの過激なMC、鉄骨を切断するパフォーマンス、芙苑晶がキーボードを叩き壊して燃やす(野外レイヴでは火炎瓶を投げる)、さらに市川カヲルのシャボン玉、その他等々、おもに日本のファン向けに考えられた過激な、黒ミサを思わせる呪術的なパフォーマンスと、ピカレスク的な演出が話題を呼んだ(彼らはヨーロッパではそういったパフォーマンスはあまりやらなかった)。

  • しかしある意味で最も話題になったのは、田嶋エリサがステージにきわどい下着姿で登場、踊りながら最後にヌードになり、鶏を殺してその生き血を浴びるという、今ではほとんど伝説的な凄まじいパフォーマンスをやったことだっただろう。一部パーティでは興奮した客たちも全裸もしくは半裸になって踊り始めるなど、まさに「レイヴ・ヒッピー」的なパフォーマンスが繰り広げられた。

  • その独特なレイヴ・スタイルから「レイヴのドアーズ」「テクノ・ドアーズ」などの異名でも知られ、一部に熱狂的ファンを持った

  • このため、89−94年にかけて、バンドメンバーは、数度にわたり、騒音条例違反に加え、猥褻行為などで逮捕されている。だがこんなところも、かれららしい一面で、ファンはそんな彼らをますます崇拝するようになっていった。

    あとでメンバーたちはインタビューのさい「逮捕してほしかった。逮捕されてうれしかった」と告白。
    そんなファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットのことを、当時のあるファンは、「かぎりなく狂気に近い純粋さ」と評した。

 
  • 1989年、アムステルダムに移住した芙苑晶・田嶋エリサ夫妻を中心に、レイヴ・コミューン「灰と太陽の共和国」が立ち上げられた。日本では長野県、オランダはイーダムという二カ所にコミューンの拠点を据え、現地のヒッピーたちと交流しながら音楽を作る日々が始まる。

  • そしてこのコミューンの名が「淫心」と名づけられ、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットはバンドというよりはネオ・ヒッピーのコミューン・グループの複合体の一部として位置づけられた

  • ここに彼らの特異性があった。たんなるバンドである以前にひとつのコミューンであるというスタイルは、まさに彼らが影響されていた1970年代初期のクラウトロックバンド、アモン・デュールやファウストなどを思わせるところがあったところから、「デジタル・アモン・デュール」などと言われたのもこの頃だったろう。

 
ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット - Far East Acid House Quartet
  • まもなく、2nd 『心臓二金属ノ花咲ク(Metal Flowers Bloom On My Heart)』(=左写真)(91)をリリース。作の延長線上にありつつも、サイバーパンク的な要素が加味されたサウンドで、「ファー・イースト」の新しい方向性を予感させた。田嶋エリサのヌードをあしらったジャケットも話題となった。

  • このころより「ファー・イースト」のカルト・バンド的評価が高まる。その影響で、日本のTV局から出演依頼などもあったが、彼らはすべてこれを断っている。

 
  • しかし古くからの「ファー・イースト」ファンは、このバンドがこのバンドらしかったのは、わずかにこの2nd アルバムまでだったと評する人もいる。
    芙苑晶に言わせれば、「その一番よかった時期は1980年代後半から90年代初めのごく短い時期だった」レイヴやアンダーグラウンド・クラブ・カルチャーとシンクロしていたこのバンドは、このアルバム発表後まもない92年末、商業化・通俗化してゆくクラブ・シーンに違和感を抱き、彼らはついにクラブでのライブ活動までをも停止、以後はたまにイリーガル・レイヴ・パーティに出演する以外は、レコーディング・バンドとなり、すでに勢いを失っていた。

 
ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット - Far East Acid House Quartet
  • 93年、ハードコア・テクノに影響を受けつつ独自の方向を模索した三作目『無法的熱狂祭(Illegal Rave)』 発表。このアルバムはセカンド同様、まったくの自主制作作品で、ライブに来た人だけが買えるという代物(スペースDJリョウと田嶋エリサが日本のCD配給会社と喧嘩していたためと伝えられる)で、レコード店にはほとんど出回らなかった(が、メンバーたちはそれを喜んでいたという …… !)。
 
  • この頃、すでにクラブ・シーンはL. A. Style 「James Brown Is Dead」や T99「アナスターシャ」などに代表される、「ハードコア・テクノ」「デス・テクノ」といった傾向の攻撃的なサウンドへ移行しつつあり、彼らはそのバンド名だけで時代遅れと笑い物にされつつさえあった。
 
ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット - Far East Acid House Quartet
  • 95年、4th アルバム『肺魚の夢(Lung Fish Dreams)』を発表。
    IDMやダーク・アンビエントなどのアンダーグラウンド・テクノ、ダダ・パンクなどに影響を受け、スタジオでの音響実験を重ねた末の前衛的・幻覚的サウンドは、初期のストレートなアシッド・ハウスとは打って変わったどこか異様な雰囲気さえ感じさせるもので、一部のマニアには高く評価されたが、彼らはほとんど宣伝しなかったのと、ライブ活動をやっていなかったため、すでにバンドは忘れ去られた存在になっており、とくに日本では一部の熱心はカルト・ファンを除いては、ほとんど話題にされなかった。
 
  • しかしこれらの中期の二枚のアルバムは、アンダーグラウンド・テクノ、IDM、サイバーパンク、前衛音楽やサイケデリック・ロック系のファンの中には幻の名盤とも呼ぶ人もいる。

  • この93−95年頃、すでにバンドは解体していたともいわれる。市川カヲルのドラッグ耽溺をはじめとするさまざまな問題が、彼らの活動を困難にしていたようだ。

  • 95年6月、市川カヲルが27才で死去。混乱とともにバンドが解体に向かう中、芙苑晶が脱退。これは公表されなかったが、リーダーのリョウは他のメンバーを代置させてなおもバンドを存続させようと努力する。

  • しかし、その努力も虚しく、ニューアルバムのレコーディング中だった97年1月に、田嶋エリサが急性心不全のため死亡(享年30才)。市川カヲル同様、ドラッグにからむ事故と噂されたが、死因は公式発表されなかった。

  • 二人の女性メンバーを相継いで失ったバンドは、97年9月、自然消滅の形で解散。「バイバイ・イリーガル・レイヴ/ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット・サヨナラ・ライブ」が、彼らの最後のイヴェントとなった。この時、ライブに来た観客に無料で、最後のシングルCD『電極世界』が配布された。丸尾末広のSF漫画にインスパイアされた近未来的世界をテーマとしたテクノ・チューン。

    (しかしこの作品は、リョウは当時レコーディングが勧められていた最後のアルバム『電気羽虫(Electric Locust)』の方向性が気に入らず、田嶋エリサ・芙苑晶の両人をはじめ、スタッフを含む他のクルーたち全員と対立したまま、勝手に独断でほとんど独りで仕上げてしまったもので、「スペースDJリョウ with ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット」という名義でプレスしたものだった。そのためにこれが「ファー・イースト」最後の作品と思っている人がいるが、これは誤り。

    他にもこの時期、著作管理のゴタゴタから、変名名義のアルバムや海賊盤まがいのものがいくつかリリースされている。

  • ちなみに、芙苑晶はこの作品の存在すら知らされておらず、この作品をファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットの作品としては認めないと言っている。彼は「ファー・イースト」はシングルを出すべきでないという考えだったからだ。

    この作品については現在も賛否両論あり、「ファー・イースト」の作品として認めるべきかどうか、評価が定まっていない)

ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット - Far East Acid House Quartet
  • 解散まもない10月21日に発表されたCDで、彼らの5th『太陽黒点(Sunspot)』(1997=左写真)は、トータル300部という完全限定盤で、基本的に非売品に近い性格のものであり、9月のサヨナラ・ライブに来た人、ファンクラブの会員で申し込んだ人だけが先着順に買えるようになっていたほかは、関係者のみに配布された特別盤だった。

 
  • このアルバムは、このバンドの本質的なテーマでもあった、生と死の儀式としてのレイヴというテーマによるアルバムであり、死を連想させるタイトルが並んだこと(中でも『鳥葬』という曲があったりしたこと)や、アルバムジャケットには田嶋エリサの顔の見えないヌードが使用されていた(当時ファンたちは、あたかも死体のように見えると騒ぎ立てた。そしてそれは田嶋エリサの死体の写真なのだという噂が飛び交った!)ことなどから、市川カヲル、田嶋エリサへの追悼作品としてまとめられたものだと受け取ったファンたちも少なくなかったのだが、しかしこれはただの偶然である。

  • このデザインを考えたのはほかでもなく、田嶋エリサと芙苑晶(当時は夫婦だった)の二人自身であり、彼らは、「ファー・イースト」がやってきたイリーガル・レイヴが秘儀なら、ダンサーである田嶋エリサは巫女であり生贄のような存在であり、他の三人のミュージシャンは司祭であるといった意味のことをつねづね表明していて、このジャケットにはそういう意味が籠められていたようだ。顔を見せないというのも、「巫女としての匿名性の表現」だったと芙苑晶はのちのインタビューで語っている。

 
ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット - Far East Acid House Quartet
  • 翌年、解散後に発表された彼らの6th『電気羽虫(Sunspot)』(1998=左写真)は、事実上、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット最後のアルバムとなった

    このアルバムは、当初「電気蟻」というタイトルで告知され、デモ盤も配布されていたが、発売直前にタイトルが変更されて『電気羽虫(Electric Locust)』に変わった。

 
  • 元々、「電気蟻」は、フィリップ・K・ディックの短編から取られたタイトルだった(芙苑晶のアイディア。一説に、丸尾末広の漫画から取られたという説があるが、これは誤り)が、著作権関係のゴタゴタを恐れて、発売直前に急遽タイトルを変更したと言われている。

  • このアルバムの評価は、ファンの間では賛否両論に分かれた。アルバムの完成度は高かったものの、 それまでのファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットのカラーとは異なり、サイバーパンク、ボコーダーを使用したテクノポップ調の曲がフィーチャーされていたため、オールドファンは「曲はいいが、 Far East らしくない」と評価した人が多かったといわれる。

    これはなぜかというと、このアルバムはずいぶん前から計画されていたにもかかわらず、市川カヲルと田嶋エリサが死んだあと、スペースDJリョウがなんとレコーディングを途中で放棄したために、芙苑晶がニューヨークのスタジオで残りの半分を仕上げたという曰く付きのアルバムだったからだ。
    したがってこのアルバムの作曲クレジットは「 Far East Acid House Quartet with Aurora Heads 」となっている。

    言ってみればこれは、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットと幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)のコラボレーション・アルバムと言ったほうがより正確だろう。

  • このアルバムを最後に、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットの歴史は事実上終焉した。

  • 現在、残る二人のメンバーのうち、スペースDJリョウは2000年、イギリスはロンドン郊外に移住、すでに音楽界を引退しており、芙苑晶ただ一人だけが現役で活動している唯一のアーティストとなった。

 
> 音源
  • 芙苑晶が関係したグループの中ではごく初期のプロジェクトである「淫心」ほど超レアではないにせよ、やはり「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット」の音源も現在すべて廃盤になっており、現時点での中古市場での入手は相当難しいだろう。

  • とくに93年以降、中後期の作品では、『肺魚の夢(Lung Fish Dreams)』のように日本にわずか12枚しか入ってこなかったといわれているアルバムまであり、入手はかなり困難である。

  • また、とくに、古い『十億の神経の針(A Billion Nerve Needles)』のLPには、海外でもプレミア価格がつくことがある。

  • 2007年、芙苑晶のクラブ・リミックスベスト・ヒット・アルバム『恍惚的宇宙論/トランス・レイヴ・コスモロジー (Trance-Rave Cosmology)』芙苑晶 with トランス・レイヴ・ドーターズ)において、「ファー・イースト」の過去の代表曲として『Ibiza Breakfast(イビザで朝食を)』、『Kama Sutra Part 4 (カーマ・スートラ/愛の性典 パート4)』の2曲のトランス・リミックスが収録された。

    07年12月時点で、メジャールートで入手可能なFar Eastの音源としては、これが唯一である。

  • また、バンド解散と同時に、音楽界を引退していたスペースDJリョウがリミキサーとしてゲスト参加したことや、その当時から仲違いしていたと言われる芙苑晶・スペースDJリョウの二人の交流が、このプロジェクトを介して約十年ぶりに復活したこと等が、ファンの間で話題になった。

 
> 関連サイト 
 
> 変名 
  • 日本語表記は「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット」が正しい。

  • 通称「ファー・イースト」。

(三珠アケミ)
> その他 
  • クラブでのライブではなぜかよく乱闘が起きたり、さらにインタビューではメンバー全員がメスカリン体験を告白して物議を醸す等々、エキセントリックな噂も多いバンドだった 。

    日本では、このバンドを通して芙苑晶を知った人も少なくない。

 
関連事項 >
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