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このページでは芙苑晶のソロ活動以外の仕事を紹介しています。
ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット
( Far East Acid House Quartet ) ( 1988 - 1997 )
 
日本のサイケデリック・ロック、トランス音楽/レイヴの草分け的バンド。トランス・ミュージックの東洋における第一人者であり、野外レイヴに特化したバンドとしては、世界にも稀な存在として、現在ではこのジャンルの開祖とされる。

日本を含むアジア、ヨーロッパ各地を中心に、1980年代後半より国際的に活動し、世界的に唯一無二とも見なされる独特なレイヴのスタイルをはじめ、数々の伝説を残した。1997年解散。

正式名称は非常に長く、「Far East Acid House Quartet, Otherwise the LSD Liberation Front(ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット、もしくはLSD解放同盟)」であるが、通称は「Far East Acid House Quarte(ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット)」である。


バンド名に「アシッド・ハウス(Acid House)」とあるため、ハウス・ミュージックのバンドと思っている人も多いが、Acid Houseは「麻薬の巣窟」を音楽の「アシッド・ハウス」と引っかけたもので、音楽性は非常に多彩である。

電子楽器やコンピューターによる打ちこみを多用したサウンドは大まかな意味でテクノにカテゴライズされようが、しかし生演奏も多用しており、メロディアスな変化に富んだ曲も多いため、単調な繰り返しの多いテクノやハウスにあってはむしろ異色である。そのため当時は「Far Eastはテクノかロックか」といった論争や、「電子仕掛けのサイケデリック・ロック」といった評語も見られた。

実質的な意味で楽曲のタイプは、サイケデリック・ロック、ディスコ、トランス、テクノ、エスニック調、ポップ調、時にはバラード調から前衛音楽まで、多種多様なヴァリエーションがあり、ジャンルレスで無制限なスタイルにむしろ特徴があると言えよう。

そのため、音楽的には多種多様なスタイルがあるため、一言で説明するのが難しいほどだ。当時は主に洋楽ロックやポップスのリスナーにもファンが多く、なおかつ幻想的な音や凝ったアレンジなども日本のバンドには見られないものであり、当時は「日本に珍しい真の洋楽テイストのバンド」といった、一部の洋楽マニアのリスナーからの絶賛もしばしば見られた。

日本のサイケデリック・ロック・バンド「淫心」が母胎になってできたバンドで、1988年7月、神秘主義とLSD体験、サイケデリック・アートに傾倒していた4人の若者、田嶋エリサ(ダンス、パーカッション、シタール)、スペースDJリョウ(ターンテーブル、ビート)、市川カヲル(ウィンド)、芙苑晶(シンセサイザー、キーボード、テレミン)により、ロンドンで結成。

同年11月、帰国後、すぐに日本国内初の野外レイヴ・パーティをおこなったのを出発点とし、以後、日本とヨーロッパを往来しながら内外で数々のイリーガル・レイヴ・パーティを挙行、伝説を創り上げた。

Far East Acid House Quartetを最も有名にしたのは、彼らのオリジナルと言われるライブのスタイル「野外レイヴ(Rave Party)」のシリーズであろう。倉庫や廃墟のビル、野外スペースなどで行われる彼らのレイヴは、基本的にすべて、シークレット・パーティとして、おもに場所や日時はメディアに公表されず、特定の人たちだけが特定の方法で参加することができた。

こうしたいわゆる「シークレット・レイヴ」「イリーガル・レイヴ」において、おそらく日本で最初のバンド(世界初または現在も世界的に唯一無二の説もあり)ともいわれる彼らは、その独特なレイヴ・スタイルから一部に熱狂的ファンを持った。

なおかつ彼らのレイヴ自体も、ふつうのパーティとは違っていて、一種の古代宗教の儀式にも似た「秘儀としてのレイヴ」というテーマを持った、特異なものでもあった。

そこではダンサーである田嶋エリサが つねに一種の生贄のような存在=巫女として立ち現れ、司祭である他の三人のミュージシャンたちの奏でる呪術的なダンス・ミュージック=トランス/アシッド・トランスによって、生と死の儀式を執り行うというコンセプトが秘められていた。

いまではほとんど伝説的な、田嶋エリサが鳥や動物の仮面をつけ、原始人のようなファッションで登場、踊りながら衣類を切り裂いてゆき、最後は裸になり、鶏を殺してその生き血を浴びるといった鮮烈なパフォーマンスがそれを象徴している。彼らは当時その隠された意味をみずからとくに釈明しなかったものの、その異様なステージの空気に反応したファンたちも、半裸になって踊り始めるなど、伝説は数多い。

クラブ等での屋内スペースでのツアー活動を停止した92年以後、実質的にレコーディング・バンドとなった彼らは、95-97年、メンバーの相次ぐ死により、合計5枚のアルバムを遺して、惜しまれながら解散するが、解散後も依然として熱烈なファンを持ち、カリスマ的な人気を保持するカルト・グループである。

そしてまた、彼らは、あらゆる意味において、アンダーグラウンドの精神を徹頭徹尾貫いたという点で世界音楽史上にも稀有なグループでもあった。

そんな彼らの先駆性は、電子音楽やレイヴにとどまらず、のちに広い意味での人間解放運動、オルタナティブ思想としての運動へと発展した。

皆で内外にコミューンを形成、国家内国家を宣言したり、のちにはマスコミ拒否のバンドとして逆に一部でカリスマ的に知られたりもした。

一時はマスメディアから注目されていたにもかかわらず、TV・ラジオ・新聞・雑誌等の全てのマスメディアへの出演を拒否。例外的に、機関誌等のアンダーグラウンド・メディアを除いては、ほとんど姿を現さなかった。 このため、日本のジャーナリストで彼らに実際に会った人はわずか2、3人だったとも言われる。

しかしまたこの点で、日本国内においては、反体制のリーダー、サブカルチャー・リーダー的な評価も高く、90年代における60/70年代ブームの先駆的存在でもあり、またのちに誕生した「ケミカル世代」とか「ネオ・ヒッピー」「テクノ・ヒッピー」といった言葉とその日本における流行も、彼らのライフスタイルから生まれたとも言われている。

こうして、バンド活動後期には、アンダーグラウンド・シーンにおいてではあるが熱狂的な支持を得て、一種の「社会現象」と呼ばれるほどのカルト・グループになった。

> メンバー
 
  • 田嶋エリサ(ダンス、パーカッション、シタール、民族楽器、TB-303)

  • スペースDJリョウ(ターンテーブル、プログラミング、TB-303)

  • 芙苑晶(シンセサイザー、キーボード、TB-303) [バンドリーダー]

  • 市川カヲル(ウィンド、ディジュリドゥ、ベース・シンセサイザー、TB-303)

 
> 活動時期
1988.7.18 - 1997.9.29
 
> 活動エリア
ヨーロッパ、日本、アジア諸国の一部(インド、ネパール等で公演)
 
> ディスコグラフィ 
 
> 関連すると思われるジャンル
ロック、テクノ、ハウス、トランス(主にサイケデリック・トランス)、アンビエント、前衛音楽


> 歴史
> 結成とその前後(1986-88年)
  • 1986〜87年にかけては「淫心」という名前で5人編成で活動しており、サイケデリック/オルタナティブ的な混沌としたサウンドだったが、マダム呪々脱退後4人編成となった彼らは、88年の夏、ヨーロッパに渡る。

  • ロンドン滞在中にアシッド・ハウス・ムーヴメントとレイヴ・カルチャーに代表される「セカンド・サマー・オブ・ラブ」に遭遇し、衝撃を受ける。そしてこれを機会に、アシッド・ハウスのビートを取り入れ、バンド名も「Far East Acid House Quartet, Otherwise the LSD Liberation Front(ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット、もしくはLSD解放同盟)」とあらためて再出発。

  • バンド名がこれに落ち着くまでには、いくらか複雑な経緯を経なければならなかった。
    現在分かっている範囲で記せば 、およそ以下の通りである。

    1)
    当初は「LSD Liberation Front(LSD解放同盟)」というバンド名で、ロンドンのガレージでのギグに出演した。

    2)
    メンバーはこの名前が気に入っていて、デビュー・アルバムもこの名義で出したかったが、プロデューサーのDavid Laurenz氏に「イギリスの放送局は保守的なので、そのバンド名だと曲がかけてもらえない恐れがあるので、名前を変えた方が良い」と言われた。

    3)
    そこでメンバーは相談して、第一案の「LSD Liberation Front」と、第二案の「Far East Acid House Quartet」という、二つのバンド名を合体させ、「Far East Acid House Quartet, Otherwise the LSD Liberation Front(ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット、もしくはLSD解放同盟)」に落ち着いた。

    4)
    1st アルバムはこれでリリースされたが、あまりに長いバンド名なので、通称であった「Far East Acid House Quartet (ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット)」のほうがやがて定着した。

    ここでは通称にしたがって、「Far East Acid House Quartet (ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット)」で記述することにする。
 
ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット - Far East Acid House Quartet
  • 同年、かれら自らのLSDやメスカリン摂取による自我の崩壊と覚醒の体験をモテx-ふにした1st アルバム 『十億の神経の針(A Billion Nerve Needles)』をNYのアンダーグラウンド・レーベル Nerve Nets Records よりリリース、アシッド・ハウスの草分けならではの特異で幻想的なサウンドを生み出した
 
  • 帰国直後の1988年11月9日(?推定)、彼らは野外レイヴ・パーティを大阪の郊外の野外スペース(万博公園跡付近の広場)でおこなう。わずか40-50人ほどが集まった小さな規模のパーティであったが、この「レイヴ」は、おそらく日本国内初のレイヴと見なされている。

  • この年より、日本とヨーロッパの各地の野外フィールドで、「レイヴ・ビー・イン(Rave Be-in)(ビー・イン(Be-in)とは、ヒッピーの集会を意味する言葉)」と題する、シークレット・レイヴ・パーティのシリーズをおこなう(〜1994年頃まで)。

  • いずれも、廃墟、倉庫、野外のスペースなどでおこなわれるシークレット・パーティであった。それがまた彼らのバンドとしての思想であり哲学でもあった。つまり、彼ら自身が語っていたように、彼らにとっては「レイヴ」とはすなわちイリーガル・レイヴにほかならず、パーティは全てシークレット・レイヴとしておこなわれ、特定の人だけが会場や開催期日を知ることができた

    「レイヴの一回性・祝祭性を純粋に保つ」という目的により、記録は残されず、写真撮影、録音などは一切禁止されていた。もし発見された場合は没収となった。
     このため、知られている限り、彼らのレイヴはいっさい記録に残っていない。

  • ライブではOHP投影機に、インクに油などを流しながら幻覚的な映像を背景に映すなどして、あたかも60年代末のサイケデリック・コンサートを彷彿とさせる演出の中でダンサーの田嶋エリサが彼女のパートナーでもあった鳴海ナナを迎えて熱狂的に踊り狂うなか、他の三人がオリジナル曲を交えつつ即興演奏を繰り広げるという、通常のテクノ/ハウス・バンドとはひと味もふた味も違うスリリングなものであった。

  • かれらはまた、その初期にはハプニング・バンド的な側面でもまた知られた。DJリョウの過激なMC、鉄骨を切断するパフォーマンス、芙苑晶がキーボードを叩き壊して燃やす(野外レイヴでは火炎瓶を投げる)、さらに市川カヲルのシャボン玉、その他等々、おもに日本のファン向けに考えられた過激な、黒ミサを思わせる呪術的なパフォーマンスと、ピカレスク的な演出が話題を呼んだ(彼らはヨーロッパではそういったパフォーマンスはあまりやらなかった)。

  • しかしある意味で最も話題になったのは、田嶋エリサがステージにきわどい下着姿で登場、踊りながら最後にヌードになり、鶏を殺してその生き血を浴びるという、今ではほとんど伝説的な凄まじいパフォーマンスをやったことだっただろう。一部パーティでは興奮した客たちも全裸もしくは半裸になって踊り始めるなど、まさに「レイヴ・ヒッピー」的なパフォーマンスが繰り広げられた。

  • その独特なレイヴ・スタイルから「レイヴのドアーズ」「テクノ・ドアーズ」などの異名でも知られ、一部に熱狂的ファンを持った

  • このため、89−94年にかけて、バンドメンバーは、数度にわたり、騒音条例違反に加え、猥褻行為などで逮捕されている。

    あとでメンバーたちはインタビューのさい「逮捕してほしかった。逮捕されてうれしかった」と告白。
    そんなファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットのことを、当時のあるファンは、「かぎりなく狂気に近い純粋さ」と評した。

> 1989年
  • この年、1989年の春以降、「ファー・イースト」、日本国内で実験的野外レイヴを挙行

    ファー・イーストが始めたレイヴは、ヨーロッパのアンダーグラウンド・シーンで行われていた「ウェアハウス・パーティ」とは、趣を異にするものであった。

      ファー・イーストは、「秘儀としてのレイヴ」をテーマに据え、また、工事中のビル、廃墟と化した中華飯店の店内、セメント工場跡の廃墟、田舎の廃校といっ た、通常の音楽ライブには使用されない場所をわざわざ探し出し、それらの場所を舞台に、観客への呼びかけさえもほとんど口コミによるシークレット・パー ティという、完全にオリジナルなDIYによるレイヴというスタイルを、1989年から90年にかけて、創り出していった。

      これは、世界にも稀な例であり、のちにファー・イーストが唯一無二のスタイルを確立したと言われたゆえんである。

    ライブ・パフォーマンスのスタイルにおいても、ファー・イーストは、かつてどんなミュージシャンたちも発想し得なかったような独創的なアイディアを盛り込み始める。

      ダンサーがメイン・アクトをつとめ、DJ、キーボード奏者、ウィンド奏者という他の三人のミュージシャンたちが即興演奏をおこなうというスタイルだけでも 革新的だったが、さらに彼らはそこに、あたかも原始宗教の儀式にも似た呪術的なパフォーマンスをおこなってみせた。

     ステージに生きた鶏を放ち、自動車をハンマーで破壊し、炎や映像を取り入れたりと、シアトリカル志向の演出を試みる。とくに、「巫女」役としてフロン ト・アクターをつとめたダンサーの田嶋エリサが、鳥や動物の仮面をつけて登場、踊りながら服を引き裂いて脱いでいくクレイジーな即興ダンスを披露。そして クライマックスには鶏をナタで殺し、生き血を裸体に浴びるといったパフォーマンスは、参加者たちの度肝を抜いた。そしてレイヴの最後の最後には、他のメン バーたちが、楽器やアンプをさえ破壊し、ガソリンをかけて燃やしてしまうといった、経済至上主義・物質崇拝主義的な現代社会のカタストロフィをそのまま予 言したようなレイヴ・スタイルを確立するに至った。

     80年代末の時点では、すでに自己のオリジナル・スタイルを確立していたファー・イーストのメンバーたちは、おもにセカンド・サマー・オブ・ラブの時に 知り合ったアンダーグラウンドのDJやミュージシャン、オーガナイザーたちとのコネクションを通じて、さらにヨーロッパやアジア各地にも活動範囲を拡げ、 完全なDIYによる「野外レイヴ」の追求に情熱を燃やし続けた。

      当時、「地底音楽の王者」とも呼ばれたファー・イーストにあっては、アンダーグラウンドという言葉は必然から生まれたものであり、それ以上でも以下でもなかった。

     このような活動スタイルを取ったアーティストは世界にも類例がなく、のちに唯一無二の存在として、日本国内のみならず海外でも話題を呼び、しばしば「世界にも稀なオリジナリティ」という評価を内外の目利きから与えられ、ジャパン・オリジナルの新しいアートとして評価されるようになる。

     その結果、すでにレイヴというカルチャーの枠を超えた存在となってしまったファー・イーストは、皮肉なことにその発祥の地であるヨーロッパのコアなファンたちの間において、「僕たちの国(ヨーロッパ)が生み出した、レイヴという新しい文化は、日本から逆襲を受けた。

    今どきの、自らコマーシャリズムに身を売ってしまったDJやハウス・ミュージシャンたちは、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットという名を聞けば、恥じ入ることだろう」といった評価を異口同音に受けたことも、印象的である。

      それは結果的に、早くも商業主義の支配下に置かれてしまったハウス、トランスといった新しい音楽や、レイヴという文化における、「新しい世代の先駆者」を生み出す契機ともなったのである[* - 無法的熱狂祭(Illegal Rave)]。

  • アムステルダムに移住した芙苑晶・田嶋エリサ夫妻を中心に、レイヴ・コミューン「灰と太陽の共和国」が立ち上げられた。日本では長野県、オランダはエダムという二カ所にコミューンの拠点を据え、現地のヒッピーたちと交流しながら音楽を作る日々が始まる。
> 1990年
  • 12月24日、次作アルバムに先行するシングル・カット『親殺し金属バット(Parents Murderer Iron Bat)』リリース。「ファー・イースト」の最初で最後の公式なシングル盤であり、いまだにファンには人気がある。しかしタイトルが放送コードに引っかかるという理由で、欧米のいくつかの国で放送禁止にされた。

  • この年から93年頃にかけて、バンドは日本以外に、イギリス、ドイツ、フランス、デンマーク、オランダ等のヨーロッパ、また、インド、ネパール等のアジア 各地で、野外レイヴ・シリーズ「レイヴ・ビー・イン(Rave Be-in)パート2・宇宙巡礼レイヴ」をおこなったほか、各地の野外スペース、ガレージ、アンダーグラウンド系クラブ等に出演。いずれも盛況に終わる。

  • 初のジャパン・ツアー。当時の日本においては、今で言うところの「クラブ」はまだほとんど存在しなかったため、主にライブハウスを回った。

    どちからと言うと逆輸入の形ではあったが、日本国内でも評価が高まり、ファンを獲得する。

  • 岐阜県の森の中で、野外レイヴ。バンドメンバ4名ーとマネージャー、騒音条例違反に加え、猥褻行為の容疑で逮捕され、留置場に入れられる。
 
> 1991年
ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット - Far East Acid House Quartet
  • 2nd 『心臓二金属ノ花咲ク(Metal Flowers Bloom On My Heart)』(=左写真)(91)をリリース。アシッド・トランス・サウンドを基調とした前作の延長線上にありながらも、サイバーパンク、ハードコア・テクノ的な鋭利なサウンドが加味され、「ファー・イースト」の新しい方向性を予感させた。

  • このころより「ファー・イースト」のカルト・バンド的評価が高まる。その影響で、日本のTV、ラジオ局等から出演依頼などもあったが、彼らはすべて断っている。

  • この時期を境に、「ファー・イースト」の斬新な音楽性に加え、サブカルチャー・リーダー的、ないし思想的側面が評価されるようになる。「テクノ・ヒッピー」という新しい言葉が誕生する。

    また、「頭脳警察(1970年代の日本のロック・バンド)以来のカルト・バンドの出現」「日本のポピュラー音楽史上、真の意味で最も繊細かつ最も過激なグループ」「新しい世代の若者のサブカルチャー・リーダーとなりうる最有力候補」といったレビューが見られるようになる。
 
> 1992年
  •  レイヴ「無法的熱狂祭(Illegal Rave)」シリーズ上演。日本、オランダ、イギリス等。

  • バンドメンバーであった芙苑晶(キーボード)・田嶋エリサ(ダンサー)の二人が結婚。

  • 通算4回目の日本国内の全国ツアー・ライブ。国内のクラブやライブハウスに関して言うと、恐らくこの時期が、初期ファー・イーストの人気が最高潮に達した 時期だったとも思われる。ハコによっては、ファー・イースト目当てと思われる客だけで満杯となり、ドアの外にまで溢れ出したハコもあった[*]。。
    市川カヲル
    、ライブの途中で腕に注射をし、失神する。

  • この年の暮れ、バンドは商業化・通俗化してゆくクラブ・シーンに対しアンチテーゼを打ち出し、クラブ出演停止宣言を発表。

 
> 1993年
ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット - Far East Acid House Quartet
  • 三作目『無法的熱狂祭(Illegal Rave)』 発表。ハードコア・テクノに影響を受けつつ独自の方向を模索した作品。民族音楽の影響もさらに強まる一方、サイケデリック・トランス/ゴアの先駆的作品でもあり、来たる次の時代の雰囲気を見事に予言したかのような幻想的で濃密なサウンドが印象に残る。
 
  • この頃、すでに日本のクラブ・シーンはL. A. Style 「James Brown Is Dead」や T99「アナスターシャ」などに代表される、「ハードコア・テクノ」「デス・テクノ」といった傾向の攻撃的なサウンドへ移行しつつあり、彼らはそのバンド名だけで時代遅れと笑い物にする人々もあった。

    (しかし実際にはバンド名にある「アシッド・ハウス」というのは音楽の「アシッド・ハウス」と「Acid House = 麻薬の巣窟」を掛け合わせたものである)

    このアルバムは自主制作作品で、ライブに来た人だけが買えるという代物(スペースDJリョウと田嶋エリサが日本のCD配給会社と喧嘩していたためと伝えられる)で、一般のレコード店にはほとんど出回らなかった(が、メンバーたちはそれを喜んでいたという …… !)。

> 1994年
 
  • 長野県で二日間にわたり、巨大なレイヴ・パーティを上演。しかし図らずもこれが「ファー・イースト」の最後のレイヴとなった。このレイヴには、のちにトランス・レイヴ・ドーターズのメンバーとなるDJアゲハ、香港リルの二人(当時中学生)が参加している。

  • バンド・メンバー内に分裂の兆し。この93−95年頃、すでにバンドは解体していたともいわれる。市川カヲルのドラッグ耽溺をはじめとするさまざまな問題が、彼らの活動を困難にしていた。
> 1995年
 
ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット - Far East Acid House Quartet
  • 95年、4th アルバム『肺魚の夢(Lung Fish Dreams)』を発表。
    IDMやダーク・アンビエントなどのアンダーグラウンド・テクノ、ダブ、ダダ・パンクなどに影響を受け、スタジオでの音響実験を重ねた末の前衛的・幻覚的サウンドは、初期のストレートなアシッド・ハウスとは打って変わったどこか異様な雰囲気さえ感じさせるもので、幻の名盤とも呼ぶ人もいる。また、のちに、IDMの予言的作品とも評される。
 
  • 95年6月、市川カヲル死去。享年27才。自宅アパートで発見される。死因は不明だが、睡眠薬とMDMA(エクスタシー)の常用による衰弱死説がある。
 
 
> 1996年
  • 市川カヲルを除いたファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットのメンバー3人(田嶋エリサ、スペースDJリョウ、芙苑晶)、日本の野外の巨大レ イヴ・イヴェント「レインボー2000」への出演をはじめとするライブを予定し、シーンへの復帰を計画している旨が、この年のファンクラブ会報に発表され る。デモテープを送るなどして、「レインボー・オフィス」にコンタクトした形跡があった。

    が、「レインボー」への出演は直前になってキャンセルされ、果たせずに終わった。田嶋エリサの体調不良が理由[*]。

  • この頃になると、彼らはほとんど宣伝しなかったのと、ライブ活動をやっていなかったため、日本では一部の熱心はカルト・ファンを除いては、すでにバンドは忘れ去られた存在になっていたとも言われる。

  • 混乱とともにバンドが解体に向かう中、芙苑晶が脱退。これは公表されなかったが、リーダーのリョウは他のメンバーを代置させてなおもバンドを存続させようと努力する。

> 1997年
 
  • しかし、その努力も虚しく、97年1月、田嶋エリサが急性心不全のため死亡。享年30才。市川カヲル同様、ドラッグが原因の事故死と噂された。ヘロインによるオーバードーズ(ショック死)の説が濃厚である。

  • 二人のメンバーを相継いで失ったバンドは、97年9月、自然消滅の形で解散。「バイバイ・イリーガル・レイヴ/ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット・サヨナラ・ライブ」が、彼らの最後のイヴェントとなった。この時、ライブに来た観客に無料で、最後のシングルCD『電極世界』が配布された。丸尾末広のSF漫画にインスパイアされた近未来的世界をテーマとしたテクノ・チューン。

    (しかしこの作品は、リョウは当時レコーディングが勧められていた最後のアルバム『電気羽虫(Electric Locust)』の方向性が気に入らず、田嶋エリサ・芙苑晶の両人をはじめ、スタッフを含む他のクルーたち全員と対立したまま、勝手に独断でほとんど独りで仕上げてしまったもので、「スペースDJリョウ with ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット」という名義でプレスしたものだった。そのためにこれが「ファー・イースト」最後の作品と思っている人がいるが、これは誤り。

    他にもこの時期、著作管理のゴタゴタから、変名名義のアルバムや海賊盤まがいのものがいくつかリリースされている。

  • ちなみに、芙苑晶はこの作品の存在すら知らされておらず、この作品をファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットの作品としては認めないと言っている。彼は「ファー・イースト」はシングルを出すべきでないという考えだったからだ。

    この作品については現在も賛否両論あり、「ファー・イースト」の作品として認めるべきかどうか、評価が定まっていない)

ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット - Far East Acid House Quartet
  • 解散まもない10月21日に発表されたCDで、彼らの5th『太陽黒点(Sunspot)』(1997=左写真)は、トータル300部という完全限定盤で、基本的に非売品に近い性格のものであり、9月のサヨナラ・ライブに来た人、ファンクラブの会員で申し込んだ人だけが先着順に買えるようになっていたほかは、関係者のみに配布された特別盤だった。

 
  • このアルバムは、このバンドの本質的なテーマでもあった、生と死の儀式としてのレイヴというテーマによるアルバムであり、死を連想させるタイトルが並んだこと(中でも『鳥葬』という曲があったりしたこと)や、アルバムジャケットには田嶋エリサの顔の見えないヌードが使用されていた(当時ファンたちは、あたかも死体のように見えると騒ぎ立てた。そしてそれは田嶋エリサの死体の写真なのだという噂が飛び交った!)ことなどから、市川カヲル、田嶋エリサへの追悼作品としてまとめられたものだと受け取ったファンたちも少なくなかったのだが、しかしこれはただの偶然である。

  • このデザインを考えたのはほかでもなく、田嶋エリサと芙苑晶(当時は夫婦だった)の二人自身であり、彼らは、「ファー・イースト」がやってきたイリーガル・レイヴが秘儀なら、ダンサーである田嶋エリサは巫女であり生贄のような存在であり、他の三人のミュージシャンは司祭であるといった意味のことをつねづね表明していて、このジャケットにはそういう意味が籠められていたようだ。顔を見せないというのも、「巫女としての匿名性の表現」だったと芙苑晶はのちのインタビューで語っている。

 
> 1998年
 
ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット - Far East Acid House Quartet
  • 解散後に発表された彼らの6th『電気羽虫(Sunspot)』(1998=左写真)は、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット最後のアルバム
    コンピューターが支配する近未来社会をモティーフにしたコンセプト・アルバムで、音楽的にはサイバーパンク、トランス、ハウス、テクノポップ、現代音楽等が入り混じっている。

 
  • このアルバムは、ずいぶん前(1993年頃)から計画されていたにもかかわらず、大がかりなプロジェクトであったのと、以後、バンド内にトラブル続きだったため、何年経っても仕上がらないまま、ずっとオクラ入りになっていた作品を、DJリョウと芙苑晶の二人が完成させ、バンド解散後に発表したものである。

    企画された当初は、「ファー・イースト」のメンバー自身が、電子音楽とビデオ映画を同時進行で制作し、オーディオ・ビジュアル作品として完成させ、ビデオテープで販売するという斬新な企画が考えられていたが、映像のほうは完成せず、今日に至るまで試写も発表もされていない。

    しかし一説によると、「ファー・イースト」のメンバーたちが出演しているレアな映像が収録されているという。また、その映像の一部は、のちに芙苑晶のビデオ・アート作品に流用されたとも言われる。田嶋エリサがダンスをしたり、ヌードで出演している映像で、これらの一部は98年に日本でおこなわれた芙苑晶のビデオ・アート展で見ることができた。

    本作は、1993年頃にニューアルバムとして「電気蟻」というタイトルで告知され、デモ盤も配布されていたが、代わりに『肺魚の夢』がリリースされている。

    実際の発売直前にはタイトルが変更され『電気羽虫(Electric Locust)』となった。元々、「電気蟻」は、フィリップ・K・ディックの短編から取られたタイトルだった(DJリョウのアイディア)が、著作権関係のゴタゴタを恐れて、発売直前に急遽タイトルを変更したと言われている。

  • なお、このアルバムの作曲クレジットは「 Far East Acid House Quartet with Psychedelic Plants Research Laboratory 」となっている。芙苑晶がソロ・ユニット、幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)のために書き下ろしていたオリジナル曲が混在しているためである。
    このような複雑な構成になってしまったのは、市川カヲルと田嶋エリサの二名が立て続けに死亡後、DJリョウがレコーディングを途中で放棄したたに、芙苑晶がニューヨークのスタジオで残りの半分を仕上げたという曰く付きのアルバムだったからだ。

  • デビュー当時の「ファー・イースト」からはずいぶんイメージが変わってしまっていたため、ファンの間には賛否両論があったと言われるが、同アルバムには、芙苑晶のペンによるクラブ・ヒットとして有名になる楽曲「Mrs. Cyrborg」「Electrode Land」のオリジナル・ヴァージョンが収録されている。
    これら2曲はのちに「幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)」名義でのリミックス・アルバム『Mrs. Cyborg's 12 Dreams』に収録されている。

  • このアルバムを最後に、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットの歴史は事実上終焉した。

> 解散後の出来事
  • 残る二人のメンバーのうち、スペースDJリョウは2000年、イギリスはロンドン郊外に移住、すでに音楽界を引退しており、芙苑晶ただ一人だけが現役で活動している唯一のアーティストとなった。

 
> 解散後の出来事 > 2007年
  • 芙苑晶 + トランス・レイヴ・ドーターズ『恍惚的宇宙論 / トランス・レイヴ・コスモロジー(Trance-Ra ve Cosmology)』発表。Far East Acid House Quartet の楽曲のトランス・リミックスが収録される。

    また、Far East の元・メンバーのスペースDJリョウがリミキサーとして参加。Far East Acid House Quartet の作品は「Ibiza Breakfast(イビザで朝食を) - Blue Cheer Mix」「Kama Sutra Part 4(カーマ・スートラ/愛の性典 パート4) - Acid Trance Overdose Mix 」の2曲収録。

    (「Mrs. Cyborg」「Electrode Land」はこのアルバムではAurora Heads名義になっているが、元はファー・イーストのアルバムにも収録されていた作品なので、これらもカウントすると4曲。

> 解散後の出来事 > 2008年
  • 9月9日、公式サイト「レイヴ聖典 / 芙苑晶 + スペースDJリョウ - Far East Acid House Quartet」誕生。

    Far Eastの元・メンバーの、芙苑晶 + スペースDJリョウによる「eメール書簡集」と、 ファンからの質問状による二人への「Q&A集」の二部構成による公式サイト。

    田嶋エリサ、市川カヲルという二人のメンバーの悲劇的な死によってバンドが解散後、Far East Acid House Quartet の残された元メンバー・二人である芙苑晶、スペースDJリョウは、Far East に関しては長らく沈黙を守り続け、インタビュー等も全て拒否し続けてきていたが、日本の若い世代のファンからのリクエストに応じる形で登場。

    この二人がFar East Acid House Quartet の元・メンバーとして公の前に姿を現すのは、11年ぶりという計算であり、また、芙苑晶の書いたエッセイないしブログ的なものとしても非常に珍しく、早くも新旧Far East ファンの間で大きな話題となる。

  • これと相前後して、Far East Acid House Quartet の公認ファンサイトを媒介とする日本国内での異常な人気再燃説が囁かれる。Far Eastをリアルタイムには知らない若い世代を中心に「Far East第二世代」の誕生が、ほぼ確定的な周知の事実とされる。
> 音源
  • 芙苑晶が関係したグループの中ではごく初期のプロジェクトである「淫心」ほど超レアではないにせよ、やはりファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットの音源も現在すべて廃盤になっており、現時点での中古市場での入手は相当難しいだろう。

  • とくに93年以降、中後期の作品では、『肺魚の夢(Lung Fish Dreams)』のように日本にわずか12枚しか入ってこなかったといわれているアルバムまであり、入手はかなり困難である。

  • また、とくに、古い『十億の神経の針(A Billion Nerve Needles)』のLPには、海外でもプレミア価格がつくことがある。

  • 2007年、芙苑晶のクラブ・リミックスベスト・ヒット・アルバム『恍惚的宇宙論/トランス・レイヴ・コスモロジー (Trance-Rave Cosmology)芙苑晶 with トランス・レイヴ・ドーターズ)において、「ファー・イースト」の過去の代表曲として『Ibiza Breakfast(イビザで朝食を)』、『Kama Sutra Part 4 (カーマ・スートラ/愛の性典 パート4)』の2曲のトランス・リミックスが収録された。

    07年12月時点で、メジャールートで入手可能なFar Eastの音源としては、これが唯一である。

  • また、バンド解散と同時に、音楽界を引退していたスペースDJリョウがリミキサーとしてゲスト参加したことや、その当時から仲違いしていたと言われる芙苑晶・スペースDJリョウの二人の交流が、このプロジェクトを介して約十年ぶりに復活したこと等が、ファンの間で話題になった。

 
> 関連サイト 
 
> 変名 
  • 日本語表記は「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット」が正しい。

  • 通称「ファー・イースト」。

> その他 
  • クラブでのライブではなぜかよく乱闘が起きたり、さらにインタビューではメンバー全員がサイケデリック・ドラッグ体験(LSD、メスカリン等)を告白して物議を醸す等々、エキセントリックな噂も多いバンドだった 。

  • ファンの間では伝説的な、野外レイヴでのメンバーの逮捕劇、ドラッグによる逮捕、さらにのちに二人のメンバーの死(いずれもドラッグが原因との説が濃かった)と、「ファー・イースト」伝説にはドラッグがつきまとった。

    しかしまた、サイケデリック・ドラッグの幻想世界とトランス状態を通して真実を希求する「求道者」的姿勢において、「ファー・イースト」の芸術的・思想的革新性もまた評価されるべきであろう。少なくとも、日本人のアーティストでそこまで徹底してやった者はかつていなかったはずである。

    こうした文化的側面をないがしろにして、
    「ファー・イースト」をスキャンダラスな色物バンド(ドラッグ・オリエンテッドなバンド)と見なすのは、片手落ちと言わざるを得ない。

  • 日本では、80年代後半-90年代初期、このバンドを通して芙苑晶を知った人も少なくない。

 
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