| ※背景をブルーグレー、黄色文字で示した項目は、公式に発表された芙苑晶・ソロ・アルバム |
| 1969 |
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1975-
79 ? |
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4才頃、 両親が離婚。以後、母、二人の姉とともに横浜に住む。同じ頃よりピアノを始め、6才頃より作曲を始める。黛敏郎氏(作曲家)に才能を見い出され、クラシック音楽の英才教育を受ける。和声学・対位法・管弦楽法などを学び始める。
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9才頃、横浜のキリスト教会でパイプ・オルガンの演奏を神父よりたのまれ、毎週日曜のミサの時に始める。パイプ・オルガンのサウンドと構造に興味を持ち、平日は毎日のように学校帰りに教会に来て練習した。これがのちのシンセサイザーへの興味へつながった。
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10才頃、姉と東京に出かけたおり、映画館でスタンリー・キューブリックのSF映画『時計じかけのオレンジ』を見る。これのサウンドトラックを含む電子音楽のアルバム、ウェンディ・カーロスの『スイッチト・オン・ベートーヴェン』を入手、シンセサイザーという楽器を知る。
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1980-
1984
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1985-
1986 |
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高校時代の途中までに和声学・対位法・管弦楽法等のクラシック音楽の基礎理論をほとんど全て独学でマスターしたと言われる。当初は日本の芸大作曲科進学志望であったが、やめたのは、作曲の教師に「教えるべきことはもう何もない」と言われたからであるという。
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また、高校時代は成績優秀で、入学当初は学年トップであったといわれる(FC会報・クラスメートの証言より)。しかし反面、反体制的な生徒でも有名であった。
高校二年の秋頃(推定)、クラスメートらとともに学校の服装自由化運動を提唱。そのリーダーとして「学生の自由を認めない教師たちの官僚的独裁主義」を告発するビラを全校に配布、日本の教育制度を批判、無期謹慎処分となる。
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1985年頃(推定)より、自宅スタジオで電子音楽作品の習作をいくつか制作し始める。現代音楽作曲家の住谷智氏に師事、電子音楽、現代音楽、ミュージック・コンクレートを学ぶ。
電子音楽作品ではアンリ・ミショー(Henri Michax)の同題の詩によるミュージック・コンクレート(具体音楽)と電子音楽のためのテープ作品『荒れ騒ぐ無限』(習作)制作したほか、暗黒舞踏の創始者・土方巽との出会いにより、土方へのオマージュとしてのミュージック・コンクレート作品がある。
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日本初と推定される全て電子楽器によるオーケストラ「エテロフォニック・オーケストラ(Etherophonic Orchestra)」を結成、作曲・コンサート活動をおこなった。当時の作品には『電子オーケストラのためのオラトリオ』や、『エテロフォニー(Etherophohy)』等がある。
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これらのクラシック分野での作曲活動のかたわら、サイケデリック・ロック・バンド「淫心」を結成し活動を始める。マダム呪々と芙苑晶の二人が中心になったこのユニットは、サイケデリック・ロックからミュージック・コンクレートまでが入り乱れる不定型な作風ながら、のちの「淫心」〜ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットの原型となった最初のプロジェクト。
しかしこの当時は実験段階で、1枚自主制作アルバムをリリースしたのみに終わった。
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| 1987 |
- 高校三年の春休みを利用して、海外単独放浪の旅を挙行。インド、ネパール等のアジア各地を回る。おもに先住民文化に関心を持ち、おもに古代音楽・民族音楽を研究。
しかし、放浪生活は当初の予定より長引き、約一ヶ月半にも及んだ。そのため帰国後、「無断での長期欠席と法外な課外活動」を理由に、高校を退学処分となる。
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日本の高校を中退後、17才で単身ヨーロッパに渡り、神智学等の神秘主義思想・哲学を学ぶ。主にドイツ(旧・西ドイツ)に滞在。ケルン大学に通う。「原始宗教の秘儀」というテーマで論文を書く。神秘学者に私淑するなどして、約一年近く学ぶ。
学業の合間を縫って、現地で作曲活動もおこなう。またこのヨーロッパ滞在の時期、幻覚剤・メスカリンを初めて体験する。
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「神秘象徴主義音楽(Esoteric-symbolism Music)」を提唱する。芙苑晶は現在までにいくつかの音楽上の新手法を提唱・発明しているが、その最初のものと推定される。この思想・手法に関連すると思われるもので、このころの作品に、図形楽譜を用いた『幽星体投射 (Astralprojektion)』、『万物照応舞踏(Correspon-Dances)』などがある。 オーケストラのための最初の公式なシンフォニーとして発表予定だった大作、『交響曲第一番(Symphony No.1)』を作曲(未完成)。
これらの初期作品群は、ジャンル的には現代音楽に属するものであり、現在に至るまでCD化もされておらず、のちに一般に知られ現在に至る芙苑晶の作風とは別人のように異なっているものの、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットや幻覚植物研究所における「原始回帰のための秘儀としての野外レイヴ」といった芙苑晶ならではの独創的な思想・表現手法との関連が深いもの、ないしは一つの思想的ルーツと見なされるものである。
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| 1988 |
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2月中旬頃(推定)、日本にいったん帰国。当時京都に住んでいた姉のマンションに寄宿。この時期、帰国後まもなく、市川カヲルの訪問を受ける。
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3月7日、芙苑晶・マダム呪々・田嶋エリサ・市川カヲル・安永リョウ(のちのスペースDJリョウ)の五人、京都にあった地下のレゲエ・クラブで初めて顔を合わせる。「淫心」結成。バンド・ミーティング等をする。
- 3月、「淫心」の2nd アルバム『鳥どもの家』のレコーディング、芙苑晶・安永リョウの自宅で開始。
このアルバムのレコーディングの途中、マダム呪々が脱退。4人編成となる。これがファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットの母胎となった。
これと並行して、初の公式なソロ電子音楽プロジェクト「幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)」名義での最初の電子音楽作品の制作始まる(推定)。
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5月20日、「淫心」セカンド・アルバム『鳥どもの家』発表(廃盤)。マダム呪々が脱退する境目にあたる過渡期的なアルバムで、インダストリアル、ノイズ、ミュージック・コンクレート等さまざまな要素が混沌と存在し、当時メンバーたちがスタイルを模索していたのが伺えるが、ハウスの要素もすでに見られ、日本で最初にアシッド・ハウスを導入したアルバムか?との評価もある。
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同時期(発売日不明)、「幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)」名義での最初の電子音楽アルバムが限定盤としてリリースされる。私家版でレーベル番号等はなし、再発もされず。しかし前述の淫心のセカンド・アルバムとともに、ミニマル・サイケデリック・トランス的な電子音楽創作の最初の試みと見られる。
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おそらく、この時期を境に、クラシック/現代音楽の範疇から、次第にノンジャンル・テクノ/電子音楽的な作風に変化したものと思われる。
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6月、「淫心」メンバー4名で渡欧、おもにロンドンを中心にヨーロッパ数カ所に滞在。
「セカンド・サマー・オブ・ラブ」を体験。アシッド・ハウス・ミュージックとネオ・ヒッピー、レイヴ・カルチャーに影響を受ける。
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これを契機として「淫心」はバンド名を変更、最初は「LSD Liberation Front (LSD解放同盟)」を名乗った。しかしLSDという語が頭にあると、放送コードに引っかかるため、バンド名を「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット( Far East Acid House Quartet )」として結成。以後、日本やヨーロッパのアンダーグラウンド・レイヴ・シーンを中心に1997年まで活動、カルト的なファンを得た。
(左写真=ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットのジャパン・ツアーのフライヤー。1992年)
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元々、「ファー・イースト」のバンド・メンバーが渡欧したのは気まぐれの思いつきからであり、四人とも現地で音楽活動をするつもりはなく、また、その準備もなかった。デビューが決まったのは、ほんの偶然である。
とくに芙苑晶は、当初の予定では、この夏、ドイツ(旧・西ドイツ)に移住し、ケルン大学に復学して哲学の学位を取る予定で、その準備まで進めていたが、ちょうど時期を同じくして「ファー・イースト」のアルバム・デビュー/レーベル契約の話が浮上し、さらに、バンドの1stアルバムのレコーディング中にソロ・アルバム制作とデビューの話がプロデューサーのデヴィッド・ローレンツ氏から持ちかけられたため、しばらく迷った末、大学を諦め、プロとしての音楽活動を取る。
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9月−11月上旬、田嶋エリサとともにイビザ島の貸家に滞在。芙苑晶、1stソロ・アルバムとなる『燐光(Phosphorescence)』のレコーディングをおこなう。
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11月25日、芙苑晶・1st ソロ・アルバム『燐光(Phosphorescence)』をニューヨークの Nerve Nets Records より発表。芙苑晶、ソロ・アーティストとして公式デビュー。イビザ島に滞在中レコーディングされたシンセサイザー組曲。「 Siamese Twin 」名義。公式リリースされた初のソロ作品(現在は廃盤)。
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アンビエント+トランス + シンフォニー + 前衛音楽と言えそうな壮大で幻想的なサウンドで、アルバム・タイトルは、メスカリン体験の電子音楽による描写というコンセプトがあったと言われる。リリース後すぐに廃盤になったが、現在も評価は高い。
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| 1989 |
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(秋頃か? 推定)ヨーロッパからアジア、アメリカへと世界単独放浪の生活を送る。 ニューヨークに滞在中、現地のアメリカ人の友人らとともに、おもに中南米の遺跡など辺境を訪ね、現地のネイティヴ・アメリカンの音楽家たちとセッションをおこなう。二人は、現地で録音してきたさまざまなネイティヴたちの演奏をサンプリングしループを作成、これを元にしてエレクトロニック・ミュージックを製作し始める。これがバンドとしての「幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)」の母胎となる。
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10月31日、エレクトロニック・ミュージック・ユニット「幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)」結成、公式のライブ活動開始。芙苑晶によるトランス・ユニット。トライバル・パーカッションほか各種民族楽器と電子音楽を融合したソロ・ユニット・プロジェクトで、芙苑晶はシンセサイザー、キーボード、テレミン、作曲を担当。
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(11−12月頃か?)幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)、「マルチメディア・ヴィジョンクウェスト(Multimedia Visionquest)」と題し、電子音楽、民族音楽、ヴィデオドラッグ映像、ダンサー、炎などを加えた音と光のレイヴ・シリーズ上演。
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NYの廃ビルやロフトなどでおこなわれたこれらのライブは、野外レイヴ・パーティの先駆とも考えられる実験的な試みである。
また、この頃の幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)のサウンドは、トランス、アシッド・テクノ、レイヴ、エスニック・テクノ等の90年代の新たな電子音楽の先駆的・予言者的存在としてのちに評価されることになる。
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幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)・1st アルバム『火星植物園(Mars Botanical Garden)』発表[アメリカ盤のみAurora Heads名義]
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ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットがレイヴの草分けなら、初期の幻覚植物研究所はサイケデリック・トランスの予言とも言えそうな幻覚的サウンドが際立つ本作は、のちにトランスの名盤とされる。
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- (年末頃か?) オランダ(アムステルダム)に移住。以後、オランダを拠点とし、ニューヨーク、アメリカ西海岸、日本を往来しながらの音楽活動を始める。
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| 1990 |
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おそらくこの年のどこかで、「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット」のメンバーを中心とするレイヴ・コミューン「灰と太陽の共和国」が形成される。彼らはオランダのイーダムとアムステルダム、日本の長野に拠点を置き、あらゆる既成の概念に囚われない究極の自由をめざす集団として、94年頃まで存続した。
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ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットのメンバー4名、岐阜県の山中でおこなわれた野外のレイヴ・パーティにおいて、騒音条例違反と猥褻罪で逮捕される。
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| 1991 |
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| 1992 |
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田嶋エリサ(ダンサー)と結婚。オランダの郊外の街に移り住む。のちに(時期不明)さらに田舎へ移り、森の中の一軒家で暮らす。二人は、日本では長野県に家を借りて住んでいた。
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芙苑晶・田嶋エリサ夫妻、帰国中、東京でティモシー・リアリー(Timothy Leary)と会見。この会見で、
芙苑晶は、当時自らのソロ・アルバムで開発途上であった、「電子音楽によるヴァーチャル・リアリティの世界の表現」について、同じくヴァーチャル・リアリティに関心を寄せていたティモシー・リアリーと議論し、大いに共感するところがあったという。そしてこの方法論は、のちのアルバム『宇宙論( Cosmology )』で開花する「 SF ミュージック」のスタイルにつながるヒントであったと言われる。
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また、同じ頃、夫妻でインド、チベットへ旅行。チベット密教、ヒンドゥー哲学などを学び始める。これらは次作ソロ『荒廃(Ruins)』、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットの『無法的熱狂祭(Illegal Rave)』などに影響を落としている。
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ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット、この年の暮れ、クラブ出演停止宣言を発表。以後は彼らは、彼ら自身が自主的にレイヴ・パーティをたまに主宰する以外では、ほとんどライブ活動自体をやめてしまい、レコーディング・バンドとなる。また、これを機に、リーダーは芙苑晶からスペースDJリョウに交代。
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アムステルダムのクラブで行われたファッションショーの音楽を担当。このショーのオープニングとエンディングに使われた曲が、のちに次作ソロ・アルバムに収録され、「Ruins 2」となる。
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| 1993 |
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- 初のシングル「Ruins 2」発売。この頃から芙苑晶の曲は世界各地のクラブやファッションショー等で使用されるようになり、クラブ・イベントやファッションショーの音楽を作曲することが増えた。
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- 同じくこの頃出てきたサイケデリック・トランスは、すでに幻覚植物研究所、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット等で「こういう音楽は僕らが始めたようなもの」と発言。
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- エッセイ『音楽家廃業のすすめ』を「地下室」に連載。
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- 9月、日本初(世界初)の芙苑晶ファンクラブ「牧神の庭」誕生。初の会報が発行される。
ファンクラブの名前は、アルジャーノン・ブラックウッドの小説の題名に由来。
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| 1994 |
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| 1995 |
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「ファー・イースト・アシッドハウス・クワルテット」4thアルバム『肺魚の夢(Lung Fish Dreams)』発表。
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ライブ活動をやめ、バンド内にも深刻な分裂があったといわれる彼らは、音楽面でも激しく変化し、ここではIDM、ダーク・アンビエント等、ベッドルーム・テクノ的な実験的サウンドへと変化してファンを驚かせた。芙苑晶はインタビューでこのアルバムを「バスルーム・テクノ」と呼んだ。「ベッドルームよりもっとウェットだから」
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| 1996 |
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電子音楽レーザーライト・コンサート、京都の野外スペースでおこなわれる。芙苑晶ソロ・アーティストとしての初のライブ。
電子音楽、レーザーライト、ビデオ・シンセサイザーを使ったライブ映像、芙苑晶のビデオアートなどを使用したマルチメディア・イベント。田嶋エリサ、スペースDJリョウがゲスト参加。
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芙苑晶の初のソロ・ライブだが、以後、現在(=2007年)に至るまでソロ・アーティストとしてのライブはこれ以外に一度も行われていない。
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10月、田嶋エリサと離婚。
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| 1997 |
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| 1998 |
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- シングル「Cosmology 5」(現在廃盤)。複数のクラブ・リミックスが含まれたキャッチーなトランス・ポップとして、「Ruins 2」「Cathedral 1」とともにクラブ・ヒットに。DJやクラブ・シーンからも注目を浴びる。
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「ファー・イースト・アシッドハウス・クワルテット」6thアルバム(ラストアルバム)『電気羽虫(Electric Locust)』発表。
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バンド解散後に発表されたラストアルバムで、近未来世界をモティーフにした組曲スタイルの凝った作品だが、幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)の曲を組み込んでようやく完成したアルバムだったことや、ボコーダーによるテクノポップ調だったことなどが、ファンに賛否両論を巻き起こした。
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- 『宇宙論(Cosmology)』発表まもなく、アメリカのファンサイトとファンジン誌上で、引退を表明。表向きの理由は鬱病と語っているが、詳細は不明である。
- 2000年にリミックス・アルバムは発表されたものの、1998〜2000年頃にかけて、この時期のインタビューでも、オランダの田舎の森の奥に一人で隠居生活をしているといった話、また、日本のファンの間でも、失踪、死亡説等も流れた。
噂の真偽のほどは定かではないが、低迷期であり、実際の活動はほとんどしておらず、世間にも顔を出していなかったことは、のちに本人も認めていた。
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- しかしこれと反比例して『宇宙論(Cosmology)』は芙苑晶のアーティストとしての国際的ブレイク作となる。
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| 2000 |
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幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)・3rd / クラブ・リミックス・アルバム『Mrs. Cyborg's 12 Dreams(人造夫人の12の夢)』発表。
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「Mrs. Cyborg」「Electrode Land」等がクラブ・ヒットに。彼らの持ち味であるサイケデリック・トランス/ゴアとは異なるポップトランス的なテイストが新境地となった。リミキサーはヒプノティック・ツイン、トランス・レイヴ・ドーターズ。オリジナル曲も収録。
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- Nerve Nets Records、経営難により閉鎖。
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| 2001 |
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| 2003 |
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- ニューアルバム発表と公式サイトの誕生により、日本のファンの間でも「芙苑晶ついにシーンに復帰!」と話題に。
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| 2004 |
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| 2005 |
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| 2006 |
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- 芙苑晶『宇宙論(Cosmology)』デジタル・リマスター盤(2006)、 Music Term (日本のCDディストリビューター)の月間売れ筋チャートにおいて1位。
4月22日の発売後わずか1週間でトップ10入りし、以後1ヶ月間チャートの1位を独走。さらに以後、現在の時点(2007年3月)まで、売れ筋ランキングの1位が3回、トップ10入りは10回以上に及ぶ。
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- また同じく、『宇宙論(Cosmology)』、海外でも売れ続け、ロング・セラー・ヒット・アルバムに。
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- この頃より、『宇宙論(Cosmology)』リマスター盤のヒットの影響か、芙苑晶の廃盤ソロ・アルバム、日本国内でもネットのオークションや中古レコード店等で、数千円〜1万円以上の価格で売られているのがファンによって目撃され、当サイトの掲示板に報告される。
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| 2007 |
- 芙苑晶のCD、日本の Amazon ( Amazon.co.jp )で販売開始。
それまでは海外諸国のほとんど全ての Amazon でCDが出ていたにもかかわらず、 日本の Amazon だけがなぜか取り扱っておらず、以前からファンからはブーイングが上がっていた。
結局、逆輸入の形とはなったものの、この契約により、芙苑晶のみならず、 Lavalamp Records ファミリー関連のアーティストのアイテムは日本のAmazon.co.jpでも買えるようになり、それまでは輸入盤や、高価な中古盤をオークションで買うしかなかった国内のファンにとっては朗報となった。
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- 芙苑晶、Yahoo! Japan カテゴリ「トランス」に登録される(9月18日)。
ちなみに、日本人アーティスト(作曲家)としては史上初。人気順ソートでは、初登場2位。1位は SOLSTICE MUSIC WEBSITE(トランス・パーティ情報サイト)で、アーティストとしては1位。
また、サブカテゴリ「シンセサイザー奏者」では人気順ソートで1位となる。(2位:富田勲、3位: Morgan Fisher)(6月下旬時点〜2007年7月まで、不動の1位。)
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- 10-12月、『恍惚的宇宙論/トランス・レイヴ・コスモロジー (Trance-Rave Cosmology)』、Amazon.co.jpで売れ筋ランキング上位。キーワード別の検索結果「トランス レイヴ」「レイヴ」で1位(124件中)、「トランス」では最高4位まで上がる(1134件中)。断続的に、人気作品「トランス・レイヴ・ベスト」シリーズ(ビクター)のCDを抜き、早くもヒット作品に。
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