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| (上)「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット」のアルバム『十億の神経の針(A Billion Nerve Needles)』。目玉の中に映る女性が田嶋エリサ。 |
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ダンサー、ミュージシャン。ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット(Far East Acid House Quartet) 元・メンバー(故人)。
1966年3月9日横浜生まれ。日本人カメラマンの父、ポルトガル人の母との混血。幼少期からモダン・ダンスを学び、バレエや暗黒舞踏なども吸収して独自なダンス・スタイルを作り上げた。
サンフランシスコで幼少期を過ごし、中学時代より再び日本で過ごしたが、高校中退後、85年頃よりディスコ・ダンサー、モデルとして活動を始める。スペースDJリョウ(当時は安永リョウと表記)、ダンサーの鳴海奈々とともにクラブやディスコに出演。
現在のクラブ・ダンサー、ストリート・ダンサーの草分けとも目されている。
87年、ハウス・ミュージック・バンド「淫心」結成。
88年、同バンドのメンバー全員でロンドン滞在中、アシッド・ハウスとネオ・ヒッピー・カルチャーに象徴される「セカンド・サマー・オブ・ラブ」ムーブメントに遭遇。グループ名を「ファー・イースト・アシッドハウス・クワルテット( Far East Acid House Quartet )」と名前を変えて再出発。日本初のイリーガル・レイヴ・バンドとして内外のアンダーグラウンド・シーンを中心に活動を続け、カルト的評価を得た。
「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット」の、とくに初期のステージにおいては花形スター的な存在であった彼女は、天才的なダンサーとしてカリスマ人気を誇ったが、片やアシッド体験を赤裸々に綴った手記を発表したり、ステージでは裸になるなどのハプニング・アーティスト的な面もあった。
また、意外と知られていないがミュージシャンとしても優れた才能を発揮し、「ファー・イースト」のステージではテレミンを使ったパフォーマンスをしていたほか、レコーディングではシタールなども演奏した。
のちに、芙苑晶のソロ・アルバム『伽藍(Cathedral)』(1995)ではシタールの腕前を披露しているほか、94年には、彼女自身がシタールやテレミンを演奏している、珍しいアンビエント風のアルバム『神経』(芙苑晶がプロデュースしているようだが詳細は不明)を自主制作で発表している。
92年、芙苑晶と結婚。95年離婚。
97年1月、心不全のため死去。享年30才。
芙苑晶との関連 > 元・バンドメンバー、元・妻
芙苑晶の前の奥さんがこの人。「淫心」「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット」のバンドメンバーであり、のちに夫婦(のちに離婚)。
関連リンク >
「無法的熱狂祭」ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット(Far East Acid House Quartet) ファンサイト/資料館
Lavalamp Records
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