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| (上)「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット」のアルバム『十億の神経の針(A Billion Nerve Needles)』。目玉の中に映る女性が田嶋エリサ。 |
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ダンサー。ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット(Far East Acid House Quartet) 元・メンバー(故人)。
ストリート・ダンサーの草分けとも目されている。「レイヴのジャンヌ・ダルク (Jeanne d'Arc of Rave)」とも呼ばれる。
1966年3月9日横浜生まれ。日本人カメラマンの父、ポルトガル人の母との混血。幼少期からモダン・ダンスを学び、バレエや暗黒舞踏なども吸収して独自なダンス・スタイルを作り上げた。サンフランシスコで幼少期を過ごし、中学時代より再び日本で過ごす。
中学時代の後半、両親の不和、いじめなどが原因で、突然非行に走りドロップアウト。同じ頃、暴走族に入り、家出。自堕落な生活に明け暮れる。中学校の卒業式には出なかったため、本人は「私の学歴は中学中退」と述べている。
16才の時傷害事件を起こし、女子少年院に入れられた。退院後、モデルや花屋、レコード店の店員等のアルバイトを転々とし、社会復帰しようとしたが、再び転落。両親との絶縁、極貧生活、放浪、麻薬中毒など、十代半ばで人生のどん底を経験。数奇な青春を送った。
17才の時、どん底生活の中で、「神の声を聞いた」と信じ、再びダンサーを志す。このころ、暗黒舞踏を学んだ。
1985年頃、関西に移住。ディスコのダンサーやストリッパーとして活動しながら、独自のスタイルを持ったダンスを探究。二十才の時、所持金を全てはたいてニューヨークに一年間滞在、教師についてモダン・ダンスと音楽を学んだ。
帰国後、ディスコのダンサー、モデルとして活動を始める。スペースDJリョウ(当時は安永リョウと表記)、ダンサーの鳴海奈々とともにクラブやディスコに出演。
87年、サイケデリック・ロック・バンド「淫心」に加入。パーカッション、民族楽器、ダンスを担当。
ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット時代 >
88年、同バンドのメンバー全員でロンドン滞在中、アシッド・ハウスとネオ・ヒッピー・カルチャーに象徴される「セカンド・サマー・オブ・ラブ」ムーブメントに遭遇。グループ名を「ファー・イースト・アシッドハウス・クワルテット( Far East Acid House Quartet )」と名前を変えて再出発。日本初のイリーガル・レイヴ・バンドとして内外のアンダーグラウンド・シーンを中心に活動を続け、カルト的評価を得た。
ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットのライブではダンス、レコーディングでは民族楽器、パーカッション、シンセサイザーを担当。民族音楽に詳しく、シタールの名手でもあった。
ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットのライブにおいては、ダンサーとしてフロント・アクトをつとめたほか、アルバム・ジャケットにも登場するなど、バンドのシンボルであり、花形スター的な存在であった彼女は、天才的なダンサーとしてカリスマ人気を誇った。ファンには通称「エリ」の愛称で親しまれた。
ダンサーとしての彼女の、観客の度肝を抜くようなパフォーマンスは伝説的である。とくに野外レイヴでは、鳥や動物の仮面をつけて登場、手首をカミソリで切って自分の血と赤ワインとを混ぜて飲むというイントロに始まり、ダンスしながら衣装を引き裂いていき、クライマックスでは服を破いて脱ぎ捨て、鶏をナタで殺してその生き血を裸の体に浴びる等々の、原始宗教や呪術の儀式を思わせる凄絶なパフォーマンスと、暗黒舞踏に影響されていたとも言われる独自のスタイルを持ったダンス・アクトで知られ、同時にこれが、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットというバンド独自の神秘主義的象徴ともなった。
また、こうした神秘的で奇抜なパフォーマンスの数々は、「芸術」といった評価の反面、風紀紊乱により逮捕されるなどのハプニングや、途中で上演中止になったケース等もあった。
プライベートではナナハンと放浪の旅を愛し、世界各国を旅していた。ヒッピー文化や神秘主義に傾倒しており、チベット密教の信者でもあった。読書家でもあり、谷崎潤一郎、野坂昭如のファンだった。
92年、芙苑晶と結婚。オランダに移住。日本に帰国中、芙苑晶・田嶋エリサ夫妻(当時)でLSD所持により逮捕されるというハプニングもあり、ファンに衝撃を与えた。 96年離婚。
また、バンド後期の1993-94頃年にはサイケデリック・ロック/トランス・バンド「田嶋エリサと荒野の無理心中」結成、ヴォーカル、ギターを担当。課外活動的なものではあったが、インディーズでアルバムをリリースし、ファンに好評を博した。
97年1月、心不全のため死去。享年30才。死の約半年前に行われたインタビューで薬物中毒の経験を告白していたなどことから、オーバードーズによる事故死と見なされた。わずか30年の短い生涯だった。
田嶋エリサの死がそのまま、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットの解散につながった。
死後の出来事 >
死後は、史上初と推定されるレイヴ・ダンサーであり、異端、カリスマ、反体制的思想、果敢な行動の数々や、短命で劇的な生涯などのイメージから、「レイヴのジャンヌ・ダルク (Jeanne d'Arc of Rave)」の評語で、ヨーロッパ等の海外のメディアにも紹介された。
また、日本のファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットのファンの間では「エリ」の通称で親しまれ、バンドのファッション・リーダー的存在であったが、原始宗教の儀式をベースにしたと見られる独自なダンス・パフォーマンスの数々から、「レイヴの巫女」といった異名でも知られている。
芙苑晶との関連 > 元・バンドメンバー、元・妻
芙苑晶の前の奥さんがこの人。「淫心」「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット」のバンドメンバーであり、のちに夫婦(のちに離婚)。
芸術的・思想的にも協力関係にあった。
のちに、芙苑晶のソロ・アルバム『伽藍(Cathedral)』(1995)ではシタールの腕前を披露しているほか、94年には、彼女自身がシタールやテレミンを演奏している、珍しいアンビエント風の限定版アルバム『神経』(芙苑晶がプロデュースしているようだが詳細は不明)を自主制作で発表している。
関連リンク >
「無法的熱狂祭」ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット(Far East Acid House Quartet) ファンサイト/資料館
Lavalamp Records
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