芙苑晶との関連 > アシッド・ハウス初期に関わった日本人アーティストの第一人者の一人
シンフォニック・テクノやシンフォビエント、SFミュージックといった、1990年代にリリースしたソロアルバムのシリーズで、芙苑晶が開拓した新しいスタイルの印象が強烈なため、今ではあまり知られていないが、芙苑晶はアシッド・ハウスの最初期にムーブメントと関わりながら、独自な音楽を創作していたアーティストの一人である。
インターナショナルな日本人アーティストとしては、ほとんど第一人者か、もしかすると随一に近い存在かもしれない。
しかし重要なことは、芙苑晶の場合、それをいわゆるクラブミュージック/ダンスミュージックの世界においてコマーシャル・ベースに乗せて拡大再生産していくような方向ではなく、アシッド・ハウスをあたかも一つの要素として取り入れ、自分のルーツであるサイケデリック・ロックやクラシック、実験音楽などとミックスして独自の音楽を創り出していった点にあると思う。
こういった点で、
芙苑晶とアシッド・ハウスとの関わり方は、たとえば、Gong のスティーブ・ヒレッジや、スロッビング・グリッスルのジェネシス・P・オリッジのようなプログレッシブ・ロック系あるいは実験音楽系のアーティストたちの方法論と、ある点で似ているとも言えるだろう。
それは、彼の『燐光(Phosphorescence)』などのソロ・アルバムにおいてはもちろんのこと、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット(Far East Acid House Quartet) 、幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)のような、テクノ寄りのバンド・プロジェクトにおいてすら同様である。
また逆にそれが、アシッド・ハウス=芙苑晶という安易な図式を作り得なかった原因ともなっているであろう。
バイオグラフィ上で見た場合、アシッド・ハウスは、芙苑晶のアーティストとしての出発点と関わっている。1987年10月のニューヨークで幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)を結成した当時、彼らは当時シカゴで起きていたアシッド・ハウスという新しいムーブメントに注目していた。そしてまた彼ら自身、同時多発的に似たような音楽を作り出しつつあった。
幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)の初期のライブでは、EMSやMoog モジュラー・シンセなどのフィルター効果が多用されたそれらしいサウンドが聴かれる。
そしてこれは彼らのデビュー作『火星植物園(Mars Botanical Garden)』(1989)において、やはり独自な形で昇華され、結実している。
また同様に、芙苑晶の最初期のプロジェクトであり、今では伝説的な日本のアンダーグラウンド・レイヴ・バンド「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット(Far East Acid House Quartet) 」に至っては、アシッド・ハウスというジャンル名をそのままバンド名に取り入れていることからも、このムーブメントが彼らに与えた影響がいかに大きかったか推し量れようというものだ。
ちょうど同じ頃、芙苑晶が当時在籍していた日本のサイケデリック・ロック・バンド「淫心」のメンバー四人が、「ほんの遊びのつもりで出かけた」1988年夏のロンドンは、偶然にもその「セカンド・サマー・オブ・ラブ」の異名でも有名になったアシッド・ハウス・ムーブメントの最中だった。メンバーはこのムーブメントに感化され、新たに機材をも購入して再出発した。
こうして新しいムーブメントに感化された彼らが「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット」名義で生み出した最初のアルバムが、今や伝説的な名盤とも呼ばれている『十億の神経の針(A Billion Nerve Needles)』である。
芙苑晶はクラシック出身でアレンジとキーボード担当だったことから、このアシッド・ハウスにはメンバー中最も縁遠い人間だったように思われている傾向があるが、これはむしろ逆で、メンバーの中で最も早くアシッド・ハウスのサウンドを導入したのは彼だったというのが今日では新しい定説になっている。
それは、この前年に幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)ですでにアシッド・ハウス的なサウンドを創り出していたことなどからも証明可能である。
そして芙苑晶自身、彼の幻の 1st と呼ばれる『燐光(Phosphorescentplanet)』(1988)において、早くもアシッド・ハウスとクラシック的なアレンジを結びつける実験をおこなっている。この点でも彼は大胆な先駆者だったと言えるだろう。
さらに遡ってみると、「ファー・イースト」の前身バンドであった「淫心」の2枚目のアルバム『鳥どもの家』(1987)において、すでにアシッド・ハウス的なサウンドが聴かれるのも興味深い。
また、機材の面でも芙苑晶は独創的であり、アシッド・ハウスのアーティストたちが皆こぞって Roland TB-303 (シンセサイザー)を使用していたのに対し、芙苑晶は ARP2500、EMS VCS3といった音源を多用し、サウンドにヴァリエーションを出しているようだ。
90年代以降は、アシッド・ハウスの強烈な影響はさほど芙苑晶のソロアルバムに現れることはなくなったように見える。
これはファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットとソロ作品との差別化もあったとも考えられるが、芙苑晶自身が独自のスタイルを創り上げていったこと、彼自身、ダンスミュージックとかテクノにおさまりきらないスケールの音楽を作り出してきていたことが原因だろう。
だからその影響は見えにくいものの、その後の『荒廃(Ruins)』や『伽藍(Cathedral)』などのソロ・アルバムには、サイケデリック・テクノ的なサウンドは随所に聴かれる。
そしてこのアシッド・ハウスないしサイケデリック・トランス的なサウンドとクラシック的なものが次第に融合していった結果、芙苑晶はのちに『宇宙論(Cosmology)』において、シンフォニック・テクノという新しいスタイルを作り出すことになった。
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