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| (上)淫心『鳥どもの家』(1987) |
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| (上) 芙苑晶『燐光(Phosphorescence)』(1988、 Siamese Twin 名義) |
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| (写真提供= FZONO.COM ) |
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(上) Roland TB-303はアシッド・ハウスで最も多用されるシンセサイザー。
(写真提供= 上埜邦彦) |
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芙苑晶との関連 > 影響、思想的関連
意外に知られていないことだが、このクラウトロックと芙苑晶の音楽の間には、実は非常に深い関連がある。
うがって言えば、(ふつうのファンはいざ知らず)マニアックな芙苑晶の研究家が芙苑晶の音楽を理解しようと思う時、避けて通れないのがこのクラウトロックとの関連である。
説明の項にも述べたとおり、その黎明期から現在に至るまで、 このクラウトロックは音楽シーンに絶大な影響を及ぼしてきた。
だが、クラウトロックのもたらした結果としての影響を(ほとんどの場合無意識に)受けたと言えるアーティストは多いが、それを意識的に取り込み、その表面的なスタイルではなく、思想的関連において発展させたアーティストは、世界にも稀であると言ってよい。
筆者を含め、こころある少数の研究家たちが指摘するところにしたがえば、芙苑晶は、その稀有な一人だと断言してもいいだろう。そして日本人しかもソロ・アーティストということで言えば、ほとんど芙苑晶たった一人と言っていいのではないだろうか。
たとえば、わが国(日本)にも、クラウトロックから影響を受けたと思われるアーティストの一群は存在するが、たいていの場合、それはスタイル的なものをコピーしたケースがほとんどであり、筆者の知る限りにおいては、その精神なり思想的なものを継承し独自のスタイルへ発展させたというアーティストは、およそ見あたらない。
ようするに、いかにも「ジャーマン・ロック、好きなんです」的なバンドやアーティスト、つまり継承者はいても、たいていの場合継承者、よき弟子で終わっていて、新しいものは生み出していないのだ。
それに対して芙苑晶は、彼自身が言うように「僕はどんな音楽からも影響なんて受けなかった。僕はただ、過去の音楽を、作曲家として利用するだけ」であった。
クラウトロックも、そのひとつにすぎなかったと言えると思う。
だが、こう言えば、また別の誤解を生んでしまうかもしれない−−−曰く、
「そう言えば芙苑晶は若い頃アモン・デュールに影響を受けたと聞いたことがある」
「元・CAN の ヴォーカルだったダモ鈴木と友達で共演もしたんだっけ」
「初期のアルバムの頃には和製クラウス・シュルツとか言われてたこともあったっけ」 …… 等々。
つまり、そうした表面的なわかりやすい共通事項を先に見つけることで、芙苑晶=クラウトロックのフォロワーという図式を見て終わり、という、せわしなくもインスタントかつお粗末な理解=誤解が、いまだに(とくにわが国には)散見される傾向がある気がしてならない。
それとてあながち間違いではないのだが、しかしそのような表面的な共通事項を云々して関連づけるならば、なにも芙苑晶でなくとも、他に代替者はいくらもいるだろう。
バイオグラフィ上で見た場合、「淫心」や「緑葬」そして「裸のニーナ」といった一連の初期の芙苑晶のプロジェクト(なんと高校時代である)には、あきらかにクラウトロックの影響が見られる(とくに淫心はその匂いが濃厚である)。
芙苑晶自身、この時代の自分の作品や活動には、クラウトロック(とくにアモン・デュール、ファウスト、CAN など)からの影響をみずから認めているが、しかし表面的/スタイル的な部分での影響に近いものとしては、むしろこれが最後だったと言えるのではないだろうか。
その試行錯誤的な時期を経て、芙苑晶がテクノあるいはアンビエントに近いスタイルにシフトしていった1987年後半(プロジェクトで言えば幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)以降)には、その表面的/スタイル的な影響は見られなくなるが、ほんとうの意味での「影響」 …… と言うよりも、本質的な部分での思想的関連が見えてくるのは、皮肉なことにこの時期以降なのである。
芙苑晶はこの時期以降、自分のスタイルを発展させてゆく。アルバムで言えばデビュー作『燐光(Phosphorescence)』に見られる、シュールリアル・アンビエントとも言えるような奇妙な幻想的音響世界や、つづくシンフォビエント三部作に見られる、クラシック+サイケデリック+アンビエントとも言えるような映像的世界。
さらにそれを立体的に映像化・ストーリー化しスケールアップしたような『宇宙論(Cosmology)』におけるシンフォニック・テクノ的なアレンジ。こういった一連の独創性を追求した作品群において、芙苑晶は独自の世界を打ち立てた。
それはもはや、何にも似ていないとしか言いようのない稀有な世界だったが、しかしその「音楽への取り組み姿勢」つまり、前駆的・独創的であり、唯一無二のものを創り出そうとする(時には失敗することすら恐れず)姿勢は、むしろテクノとかプログレなどというジャンル分けで考えるよりは、あの70年代初期のクラウトロックのアーティストのそれに似ているとは言えないだろうか。
芙苑晶との関連 > 思想的関連
「本質的な部分での思想的関連」と僕は書いたが、それはどういうことなのだろうか?
表面的/スタイル的な影響が見えなくなってからむしろ「本質的な部分での思想的関連」が見えてくる、ということ、これは矛盾としか言いようがないが、だがこのことは、クラウトロックというものの本質に関わっている。
つまりクラウトロックとは、違う言い方をすれば、「特定のジャンルやスタイルに依存せず、前駆性・超越性を基本として無限に発展し続ける音楽的思想」(上埜邦彦・Ex-緑葬)だとも言えるわけで、その意味でやや拡大解釈風に言えば、なにもアモン・デュールやCANに限定せずとも、その前からクラウトロック的なものはあったし、今もあるし、これからも存在する、と言っていいだろう。
近年で言えば、KLFの「Chill Out」なども、その系譜にあると見ることも可能だと思う。
のちに、少年時代はアモン・デュールやCANが好きだったと臆面もなく芙苑晶は言っているが、これは「人が人に影響を与えるということを基本的に信じていない」(インタビューより)と語る芙苑晶には、むしろ例外的に珍しい話と言っていい。しかし現在の芙苑晶は、それらをある点で完全に乗り越えたという自信があるからこそ、堂々とそう言えるのではないだろうか。
さて、ここでもうひとつの疑問は、なぜそのようなことが芙苑晶には可能だったのだろうか? それはいろいろな理由が考えられるし、「天才」という言葉を持ってくればそれで話は終わってしまうが、僕個人の見るところでは(そしてあんがい人が見落としがちなところとして)、やはり、クラシックの英才教育を幼少期から受けていたというバックグラウンドを無視することはできないと思う。
つまり、アカデミックな技術を持っているから、いくらでも応用がきくのである。
[→クラシック音楽の項参照]
そしてこれが以下に述べる、芙苑晶の音楽がボーダーレスであることとも関連し合っている。
芙苑晶との関連 > ボーダーレスであること
また、しばしば言われることとして、「芙苑晶の音楽は多種多様であり、ジャンル分けがしにくい」といった言い方があるが、これにしても、真ん中にこの「クラウトロック(ジャーマン・エクスペリメンタル・ロック)」というものを置いてみると、あんがいすんなり理解できるかもしれない。
つまり、ボーダーレスということである。
また、その伝でいけば、今や一般にはたんに「ダンスミュージック」という括りでしか見られていない芙苑晶のバンド・プロジェクト、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット(Far East Acid House Quartet) や幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)も、芙苑晶のソロ・アルバムほどではないにせよ、やはり芙苑晶がアレンジに関わっていることが影響していて、聴く人が聴けばクラウトロック的な匂いを感じることはできるはずだ。
駆け足で見てきたが、芙苑晶とクラウトロックとの関連は、それだけで一冊の本 …… とまでいかなくとも、小冊子が書けてしまうぐらいに根深く、そして本質的なものであり、芙苑晶の世界の魅力の本質に関わることではないだろうか、というのが、僕の見方である。
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