| レイヴ (Rave) |
「レイヴ(Rave)」とは、本来、おもに野外で行われるトランス・レイヴ・パーティ(Trance Rave Party)の通称・略称である。トランス・ミュージックの中でもとりわけ、サイケデリック・トランス(Psychedelic Trance)/ゴア(Goa)といったジャンルの幻覚的サウンドを多用したトランス音楽が比較的よく使用される。
こういったパーティが、通常のクラブでのパーティと異なるのは、野外ならではの解放感とリンクしたサイケデリックで絢爛なもしくは奇抜なエスニック・ファッション、テントやハンモック等を持ち込んでの泊り込み組といった熱心な参加者が見られることや、ダンス・ミュージックに限らない広いジャンルの音楽が演奏されるといった特徴だろう。また、小規模なものとしてはゲリラ的に公園や河原等で行われるものまでここに含まれる。
おもにヨーロッパ、オーストラリア、日本、インド等のアジア諸国でさかんだが、レイヴのネットワークは国境を越えてグローバルな広がりを見せており、とどまるところを知らない。
しかし現時点においては、DIY精神に基づく野外レイヴと、商業ベースの大ハコ系クラブでのパーティとを区別することなく、包括的に「レイヴ(Rave)」と称されることも多く、その境界線は曖昧になりつつある。しかし古くからのレイヴの流れを引き継ぐフリークたちは、野外レイヴこそ「レイヴ(Rave)」であると主張する人々も多い。また、商業化された「レイヴ(Rave)」と区別するために、野外パーティ・マニアたちはたんに「パーティ」と呼ぶことも多い。
サイケデリック・トランス系に限定して考えると、レイヴ(Rave)の起源は1988年頃、ロンドンでのアシッド・ハウス・ムーヴメントにまで遡ることが可能である。
当時のロンドンの音楽シーンにおいて、アシッド・ハウスのカルト的な(しかし局部的に爆発的な)流行は、「セカンド・サマー・オブ・ラブ(Second Summer of Love)」の異名でも知られるとおり、1960年代末期のヒッピー/サイケデリック・ムーヴメントの再来を髣髴とさせるものであった。また、一説によると、「レイヴ」という言葉の起源は、1960年代のヒッピー/ロック/サイケデリック・ムーヴメントにあるという説もある。
こうしたことからも推察されるように、「レイヴ(Rave)」とは、主としてオーディエンス(参加者)の恍惚・陶酔・ひいては宇宙的意識の覚醒といった感覚を目指すテクノ/トランス・ミュージックのパーティであるということが言え、ここがふつうの商業ベースのロック・コンサート等と決定的に異なる点であり、また、音楽ジャンルで言えばトランス・ミュージックやアンビエント等の電子音楽をはじめ、広い意味でのサイケデリック文化との関連が深いこと等も、うなずけるであろう。
一方、80年代末に端を発するサイケデリック・トランス文化との関連においては、幅広い考察が可能である。ネオ・ヒッピー、トラヴェラーといった90年代以降の新しい若者文化/ライフスタイルとリンクする部分も多く、思想的には音楽にとどまらず、アート、サイケデリア、ドラッグ、神秘主義、宗教、シャーマニズム、ネイティブ・カルチャー(先住民文化)、エコロジー等にもリンクしており、こうしたことからニューエイジ・サブカルチャーないしは神秘主義思想的な方面からのアプローチ、解釈も可能である。
なお、「レイヴ(Rave)」の一般的な語義としては「熱中する」「興奮する」「わめく」といった意味を持つ英語であるが、諸外国では「Rave」と言うと、ここで言う「野外レイヴ・パーティ」を意味する通称として立派に通用する。しかしながら我が国(日本)ではレイヴ・カルチャーが(ヨーロッパほどには)一般レベルにまでは浸透していないこともあり、複数の語義が存在し、なおかつトランス・カルチャーにおける「レイヴ(Rave)」さえも、日本独特の商業主義とマスメディアのこころない乱用・誤用によって、西欧諸国には見られないような誤った使われ方をすることも多く、しばしば風俗的な次元においてしか語られないといった現状も見られる。 |
| (musashi) |
芙苑晶との関連 >
日本人アーティストとしては最初に野外トランス・レイヴ・パーティを実践したバンドのリーダー・発案者、思想的関連。一説によるとレイヴの原型を考案した一人とも言われる |
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| (上)ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット(Far East Acid House Quartet) 『無法的熱狂祭(Illegal Rave)』(1993) |
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| (上)幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)『火星植物園(Mars Botanical Garden)』(1989) |
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| (写真提供= FZONO.COM ) |
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野外でおこなわれるレイヴ・パーティは、1980年代末期、アシッド・ハウス・ムーブメント --- いわゆるセカンド・サマー・オブ・ラブ(Second Summer of Love)とともにロンドンで始まったと言われるが、日本においては、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット(Far East Acid House Quartet) と、その元・メンバーであり、発案者として同バンドのリーダーで思想的中核であった芙苑晶が第一人者・先駆者であったと見られている。
ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット自体、日本初(もしかするとバンドとしては世界初)のレイヴ・バンドであったといわれるが、これはおそらく間違いないだろう。彼らの活動黎明期が1988年であったこと、しかも彼らが80-90年代半ばにおこなってきた「レイヴ・ビー・イン(Rave Be-in)」シリーズ(一般公開されなかったため、俗に「イリーガル・レイヴ(Illegal Rave)」とも呼ばれる)は、その名の通り、今の商業化したレイヴとはまるで異なったものであった。
場所は主にほとんど野外のスペースで、工事中のビル、廃墟や倉庫、大自然を背景にした森の奥地などといった場所が好んで選ばれた。客たちはあらかじめ場所を知らされず、チケットもたいていは口コミでしか手に入らなかった。
最初は「ファー・イースト」のメンバーの友達の輪から始まり、その友達の紹介でやって来たまた別の友達が新しい客として参加する、といったように、半ば自然発生的に広がっていったのである。
その内容もまた、原始宗教の儀式を思わせるような神秘的で強烈なものだった。とくに、バンドのフロント・パフォーマーであったダンサーの田嶋エリサの、異界から登場した巫女のようなキャラクターは、人々に強烈な印象を残した。彼女のオリジナルとも言われる、何かに憑かれたような呪術的な恍惚境ダンス(暗黒舞踏にヒントを得ていたとも言われる)はもとより、レイヴ中に彼女が行なった数々の行為---手首を切って自分の血を赤ワインと混ぜて飲む、踊りながら服を脱いでいき、鶏を殺してその生き血を裸体に浴びる、等々---をはじめ、この他にも、スペースDJリョウのターンテーブルと並べ置かれたドラム缶や鉄材等の廃物楽器によるパーカッション演奏、ウィンド担当の市川カヲルはサックスでシャボン玉を飛ばす、芙苑晶はピアノをハンマーで破壊、そしてクライマックスは全員で機材にガソリンをかけて燃やしてしまうといった、メンバーたちの苛烈な「演奏」はもとより、それに興奮した観客たちが服を脱ぎ、雨の中、裸で踊り続ける---といった逸話は、今では伝説と化している。
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ファー・イーストにおける一連の「レイヴ(Rave)」は、当時はともすればマスメディアによってスキャンダラスに報道されたり、異端的な新種の若者風俗と見なされがちであったが、のちに発表されたインタビュー等を読むと、芙苑晶は当初からこれらを芸術として捉えており、「古代の祭儀の現代における復活」というテーマを中核に据えていたことが分かる。
こうした意味合いから、これらは現在では、シンセサイザー・シンフォニーにおけるアシッド・ミュージックとともに、サイケデリアや神秘主義思想との関連が深い点で、芙苑晶の音楽や思想とリンクする「作品世界」の一つと見なされるものの一つと言ってよい。
話は前後するが、「ファー・イースト」の日本で最初のレイヴが行われたのが1988年の11月9日、大阪の万博跡付近であったといわれるが、そのちょうど1年後の1989年11月、芙苑晶はニューヨーク各地で、不定型なユニット・メンバーたちと共に、幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)による野外ゲリラ・ライヴを上演している。
この幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)の野外ゲリラ・ライヴの時には、まだ「レイヴ(Rave)」という言葉こそ使われていなかったものの、当時彼らがやっていたライヴの内容は、のちに「ファー・イースト」のトレードマークともなるイリーガル・レイヴ・シリーズと多くの共通点があった。のちのインタビューによれば、幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)のユニットメンバーたちは、当時まだニューヨークに多くあった廃墟の建物や工事中のビルをライヴ・スペースに利用し、彼ら独特のサイケデリック・テクノ的な音楽(のちのトランスにつながる)をはじめ、炎、映像、ダンサー等を加えた野外ライヴ「マルチメディア・ヴィジョンクウェスト(Multimedia Visionquest)」シリーズを上演している。
このアイディアの主な発案者もまた芙苑晶であり、言ってみれば彼はそれを「ニューヨーク - ロンドン経由で日本に持ち帰った」と言えるだろう。あるいは、幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)でやったことを、ロンドンのウェアハウス・パーティ経由で別な方向に発展させ、そして「ファー・イースト」で洗練させ、完成させたとも言えるだろう。
興味深いのは、当時芙苑晶が幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)やファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットでおこなったレイヴ・シリーズの発想は、元はと言えばニューヨークの前衛芸術シーンとリンクしたものであり、また、その野外ライヴのためのプラン表は、オーケストラ用のスコアにさまざまな図形が描かれたものだった点である。現代音楽で使われる図形楽譜と一見非常によく似た、一種のグラフィック・スコアとも言える緻密なプラン表に基づいて、彼は「音楽だけでなく、コンサート全体を作曲」したのだと語っている。
このことは、今ではほとんど歴史の彼方に埋もれてしまっていることの一つだが、芙苑晶の音楽家としての思想とスタンスを鳥瞰する上で見過ごせない要素だと、僕は考えている。なぜなら、芙苑晶の出発点の一つはワグナーの音楽劇(オペラ)にあり、また彼自身、当時を振り返って、「その当時まだ自分は現代音楽の作曲家だと考えていた」と発言していることなどから判断して、今言った幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)やファー・イーストにおけるレイヴ・シリーズも、芙苑晶におけるトランス音楽の思想同様、芙苑晶が現代音楽の延長線上に発想したシアター・ピース的なアナーキーな総合芸術の一種であったとも考えられるからである。
1990年代前半当時、芙苑晶はアメリカの幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)、日本におけるファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットという二つの特異なテクノ・ユニットのメンバーとして世界各地を往来しながら活動を続けていたが、幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)がより電子音楽やテクノへの志向を強め、コンサートをやらなくなっていったのに対し、ファー・イーストはレイヴ・バンドとしてのカラーを強め、このジャンルのパイオニアとなっていったのである。 |
| (天野ヒロキ) |
ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットとの関連 >
歴史的な流れにおける相関性の考察 |
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| (上)ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット(Far East Acid House Quartet)フライヤー |
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| (写真提供= FZONO.COM ) |
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ファー・イーストの活動が始まったのは、すでに冒頭に述べたように、1988年の夏に遡ることが出来る。当時まだ無名のサイケデリック・ロック・バンドであった「淫心」のメンバーたち四人が出かけた88年のロンドンでは、アシッド・ハウス・ムーブメントとリンクする、いわゆるセカンド・サマー・オブ・ラブ(Second Summer of Love)の真っ只中であった。
アシッド・ハウス独特の幻覚を想わせる恍惚感・陶酔感・浮遊感とリンクしたサイケデリア(幻覚境)の世界こそ、彼らが「淫心」時代に求めていたものだった。彼らはロンドン各地のクラブに出演し、これがきっかけで「 Far East Acid House Quartet, Otherwise the LSD Liberation Front (ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット、もしくはLSD解放同盟)」としてデビューを果たすことになるが、当時彼らを魅了したものは、音楽そのもの以外にもう一つあった。当時ロンドンのアンダーグラウンド・シーンで盛んに行われていた「ウェアハウス・パーティ(Warehouse Party)」である。
文字通り、倉庫で行われるテクノ/ハウスのライヴ・パーティの意味で、「ファー・イースト」もいくつかのパーティに参加しているが、注目すべきは、88年後半にはすでに商業化の兆しを見せていたそれらに、彼らは反発していたことだ。「ファー・イースト」のメンバーは日本に帰国後、「ウェアハウス・パーティ(Warehouse Party)」から得たヒントを別の方向に発展させ、日本を含むアジア(のちにまたヨーロッパ各地での)「レイヴ・ビー・イン(Rave Be-in)」シリーズを挙行していった。これが先程述べた(そして今日本でも一般に知られる「ファー・イースト」独特の「レイヴ(Rave)」である。 |
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ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットのレイヴが、アンダーグラウンドでゲリラ的活動として始まり、次第に若者層を中心に広がっていった運動としての「レイヴ(Rave)」は、「ファー・イースト」全盛期の1991-92年頃になると、数百名(推定400-600人近い)の観客を動員するようになっていた。
噂を聴きつけたマスコミが取材しようとしたが、たいていは断られた。時に記事にされたりすることがあっても、それはたいてい色物的な紹介でしかなかったので、「ファー・イースト」とそのファンたちは、ますますマスコミから遊離し、97年の解散に至るまで、バンドは終始アンダーグラウンドに徹した活動を続けた。
当時、その活動はしばしば、反道徳的・反現世的、カルト的なものと見なされがちであり、どうかすると色物的に見なされることも多かった(「若者の乱痴気騒ぎ」といったような)が、今振り返ってみると、ファー・イーストほど真摯な活動姿勢を崩さなかったバンドも、日本の、いや世界の音楽史上稀ではないかと思われる。
そもそも彼らが「アンダーグラウンド」であったのは、「レイヴ(Rave)」というもの自体、DIY(Do It Yourself)の思想に基づく自由で多元的なものであったことの結果に過ぎないし、「カルト的」と見なされがちであったことにしても、ファー・イースト独自の理想主義的世界観の反映としての電子音楽やレイヴが、世界標準としての先進諸国の実情に無知な人々の目から見ての評価であるに過ぎない。
さらにここに、我が国独特の商業主義とリンクした音楽文化---と言うより、ここはいっそ分かり易く、「アイドルとカラオケに支えられた粗製乱造文化」と言ってもよい---という、世界にも稀な歪んだバイアスを加味して考えるならばなおのこと、人々の目に異様に映ったとしても、無理はないであろう。
しかし、歴史の流れを見てみると、ファー・イーストの残した文化遺産としてのDIY精神に基づく「野外レイヴ」は、その火種を消したわけではない。彼ら自身は日本的な商業主義に反逆するあまり、自らの活動の隘路を閉ざしてしまい、また一方では相次ぐメンバーの死によって悲劇的な解散という結末を迎えたが、彼らのレイヴ活動が終焉に向かう頃から、全く別な場所でその後継者たちが、次第に現れ始める。
ファー・イーストの弟分としてデビューした、レイヴ・バンド「野火(Nobi)」(1992-93年頃のわずか一年ほど活動)をはじめ、いくつかの影響があったのをはじめ、ウェアハウス・パーティの流れを汲む方向からは、イリーガル・レイヴとオーバーグラウンドのレイヴをつないだとも考えられる、比較的有名になった国内の野外パーティ「Equinox」(1994年以降-99年頃?)、そして98-99年頃には、ある程度コマーシャル・ベースの方式を採用しつつ、インディペンデントの精神を引き継いだ「Anoyo」「Trance Cafe」「Arcadia」といった第三世代のオーガナイザーやパーティが出現。この流れは巨大イヴェント「レインボー2000」で一つのピークを迎える。
さらにミレニアムを経由して以後は、日本国内ではトランス・ブームとあいまって、TV等のマスメディアにレイヴが(残念ながら、かなりミーハー的な浅い理解のもとで)派手に紹介されるに及んで、一般の人々にもレイヴという言葉・概念自体が広まるという、ファー・イーストの活動していた時代から思えば考えられないような現象までもが起きるに至った。
一方、その頃芙苑晶はというと、すでに95年頃、彼は実質的にはファー・イーストを脱退していたと言われ、この頃から彼の本来の仕事であったはずの作曲家/ソロ・アーティストとしてソロ・アルバム制作に専念するようになっていた。
そして98年、名盤『宇宙論(Cosmology)』をリリース直後、引退を表明。いったん音楽界から姿を消し、6年間という長いブランクを経て『年代記(Chronicle)』(2003)で復帰したが、その間、ソロ・アーティストとしての国際的評価が上昇する一方、90年代初期に一部の若者を魅了した彼のトランス/レイヴ文化のパイオニアとしてのカリスマ的な顔と評価は、すっかり忘れ去られてしまった。ファー・イーストの伝説は残ったが、時代の谷間に消えたバンドとして、当時のことを語る人も年々少なくなってきているという、淋しい現状が長らくあった。
しかしながら、03年の芙苑晶のシーンへの復帰とリンクして立ち上げられたファー・イーストの公式サイト「無法的熱狂祭 - Illegal Rave」へのアクセス急上昇という意外な現象や、ファー・イーストはおろか、90年代のレイヴ・シーンの歴史そのものを知らなかったであろう、今の若い世代からの熱烈な支持などもまた、ここ数年目立ってきており、彼らの業績に対して新たな評価が始まっていることは注目すべきであろう。
これを執筆している2007年の現在、一見したところ、レイヴ・シーンは90年代のような活気があるようには見えない。しかし、あの当時ファー・イーストがそうであったように、この情報過多の世界の片隅に埋もれて、ひっそりとアンダーグラウンドで、しかし骨太な活動を着実に続けている若い世代のバンドやDJたちも、日本のどこかにいるだろうと、僕は期待したい。
繰り返すが、レイヴとは本来、DIY精神に基づく自由な発想のパーティであるべきだと、僕は考えている。もし、そうでなければ、「ふつうのライヴ」とどこも変わらない「ただの野外コンサート」になってしまうだろう。
逆に言えば、レイヴの可能性は、無限大である。あの時代にファー・イーストが先駆者として示したのはその可能性自体であり、形式主義に陥ることではないはずだ。彼らの蒔いた種はもう芽を出しているはずだが、それが今どこにあるとしても、それは扱う人たちの意思次第で、枯れ草で終わるかもしれないし、あるいはまた、巨木に育つ可能性も秘めていると言えるのである。
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(musashi) |
| レイヴ (Rave) > 関連項目 |
> 参照
トランス
サイケデリック・トランス
ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット(Far East Acid House Quartet)
芙苑晶・関連作品 >
ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット(Far East Acid House Quartet) 『十億の神経の針(A Billion Nerve Needles)』
幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)『火星植物園(Mars Botanical Garden)』
ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット(Far East Acid House Quartet)
> 野崎ニーナによるエッセイ
関連リンク >
無法的熱狂祭(Illegal Rave)-
ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット 公式ファンサイト/資料館
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