芙苑晶との関連 > 相互影響、発展させた人
これらの例を見てもわかるように、これはジャンル名というよりは Space という言葉から受けるイメージと関連づけられる音楽のスタイルの総称と言っていいだろう。
芙苑晶の音楽もまた「スペース・ミュージック」と呼ばれることがあるが、これは、彼の音楽がそもそもクロスオーバー的で、ジャンル分けがしにくいことと無関係ではない。つまり、テクノと呼ぶにはもっとロマンティックであったりメロディアスであったりアレンジができすぎていたり(!)と、よりクラシックやプログレッシブ・ロックに近いイメージがあるそれら70年代のシンセサイザー音楽のアーティストたちの音世界と共通するものがある(後継者と語る人もいる)ことから来ている。
「アンビエント」などと同様、こういったあいまいな用語には混乱がつきものだ。最近ではジョン・セリー(Jonn Serrie)などの音楽も「スペース・ミュージック」と呼ばれることがあるが、セリーの場合はルーカス・フィルムや、プラネタリウムの音楽をやっているためにこう呼ばれるだけであり、ようするに「宇宙の音楽」と言っているだけである(マンマヤナイケ!・爆)。
こういった即物的な定義と比べると、芙苑晶の音楽が「スペース・ミュージック」と呼ばれるのは、ピンク・フロイドやクラウス・シュルツなどのイメージに近く、サイケデリックなアブストラクト・ミュージックといった意味が籠められていることは特筆すべきだろう。すなわち、ある意味で「アシッド・ミュージック」と呼ばれるのとほぼ近い意味があると言うことだ。
評論家の上埜邦彦氏の「スペース・ミュージック論考」(1995)によれば、スペース・ミュージックには二種類あり、ジョン・セリー、ティム・ブレイク、富田勲あたりは「アウタースペース・ミュージック(外宇宙の音楽)」と定義づけられ、ピンク・フロイドやクラウス・シュルツ、そして芙苑晶などは「インナースペース・ミュージック(内宇宙の音楽)」と分類することが可能である。
すなわち前者は「宇宙空間」という即物的なイメージとそのまま結びついた音楽のこと。これに対し後者は、人間の内面に拡がる宇宙をも含めた世界が映し出す「ヴィジョン」を投影した(あるいはそこからのフィードバックで作られた)音楽のことを意味する。したがって後者は、当然ながらドラッグやサイケデリック体験をも含めた人生におけるヴィジョンとのかかわりが出てくる音楽なのだ。
そして上埜氏は「それこそがロックという音楽が持っていた(1970年代初期まで)本来の意味なのだ」と続けている。この点で上埜氏は「サイケデリックというスタイルの意味が、90年代に入って、一部のテクノ音楽におけるアナログ・シンセのフィルター遊びと結びつきながら形骸化していったいっぽうで、インナースペース・ミュージックは残った。それはスタイルとは無関係に、いつの時代にあった」とし、芙苑晶を「スタイルは異なっても、初期ピンク・フロイドの系譜につらなるこんにちにおけるサイケデリック・ロックの精神的な継承者」と見なしている。
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