 |
(上)芙苑晶『木霊(Echoes)』(1990)
その独特なスタイルから、シンフォビエントという言葉の誕生する元になった嚆矢的作品。 |
| |
 |
(上) 芙苑晶『荒廃(Ruins)』(1993)
シンフォビエント三部作の第2作。ダーク・アンビエントに加え、レイヴ的な作風が入り混じってきている。 |
| |
 |
(上)『伽藍(Cathedral)』(1995)
シンフォビエント三部作の完結編。より壮大になったアレンジは、自作『宇宙論(Cosmology)』(1998)で開花するシンフォニック・テクノという新手法を予感させるものだった。
(写真提供= FZONO.COM ) |
|
芙苑晶との関連 > 初期の代表作
シンフォビエント音楽は、90年代前半にリリースされた『木霊』『荒廃』『伽藍』の三枚は「The Symphobient Trilogy(邦題=『シンフォビエント三部作』)」(=写真)として名高い名盤で、96年には80部限定の「シンフォビエント三部作・ボックスセット」が発売されているのは、ファンの間では有名だろう。
シンフォビエント三部作すべてに見られる傾向として、現実音を使えば使うほど幻覚的なイメージがむしろ増していくというパラドックスがあるが、それは今では芙苑晶のよく知られた独特な個性のひとつであり、文学で言うとある意味安部公房やカフカの小説などを連想させるようなシュールリアリズム的な不気味さがある。
四谷英巳氏はこれらの音楽にみられる離人症的感覚を指摘したうえで、このシンフォビエントという概念を、心霊的神秘主義という言葉を使って説明し、さらに芙苑晶の電子音楽とアンリ・ミショーの芸術とを比較したエッセイを書いている。
氏によれば芙苑晶とミショーにはメスカリンという共通体験があるがそれを偶然ではなく、メスカリンの生み出すある種の「異化効果」が、ここには現れているというのである。
つまり、ここでもう一度総括すると、シンフォビエントとは、クールな環境音楽ではなく、エモーショナルでサイケデリックな瞑想感覚、あるいはすでに述べてきたように、アンビエントが覚醒に向かうクールな傾向とすれば、シンフォビエントは陶酔感に向かうロマンティックかつアシッドで、どうかすると退廃的とも言えそうな世界である。
これは芙苑晶がテクノよりは元々ワグナーなど後期ロマン派クラシックに影響を受けていたことと無関係ではないと上埜邦彦氏は指摘しているが、筆者も同感である。
こういった点でも芙苑晶はパイオニア的な仕事をしてきた人物であり、またそれ以上に、予言者的なアーティストであると思う。
そしてこの「シンフォビエント三部作」は、さらに『伽藍(Cathedral)』を経て、スケールアップしてシンフォニック・テクノへと発展してゆくことになる。
|