芙苑晶との関連 > オリジネーター、世界第一人者、発明者、ジャンルを創り出し発展させた人、定義した人
シンフォニック・テクノ(またはシンフォニック・トランス、シンフォニック・アシッドとも)という言葉がいつ頃からどのように使われ出したのか定かではない。
しかし、一般に言われていることは、1998年発表、芙苑晶の5作目にあたるソロ・アルバム『宇宙論(Cosmology)』において、かつて誰も到達しえなかったような壮大かつ映像的なサウンドと、トランス、アンビエント、ドラムンベース、トリップホップ、クラシックまでをも巧みに結びつけた見事な組曲スタイルによって、「シンフォニック・テクノのパイオニア」としての芙苑晶という評価が決定的になったのだった。
しかし、さらに遡って振り返ってみると、こういうスタイルは一朝一夕に出てきたものではなかった。
すでに『木霊(Echoes)』あたりから始まっていた、クラシックとテクノ/ダンスミュージックの融合、組曲スタイルによるコンセプト・アルバムの形式、映画のような壮大なストーリーを感じさせる映像的なサウンド等々、すでに既存の概念やジャンルにはおさまりきらない独創的な作風を言い表すために、当初使われていた「シンフォビエント(Symphobient)」なる言葉の発展形、もしくはそれを含むもっと広い意味としてこの言葉が出てきたのだと思う。
そして、シンフォビエント三部作の、つづく『荒廃(Ruins)』(1993)、『伽藍(Cathedral)』(1995)と、レイヴやトランスを取り入れ、同時に、大合唱やシンセ・オーケストレーションなどを合体させるという、とてつもない試みによって、サウンドのスケール自体がとてつもなく壮大なものになるつれ、こんどはシンフォビエント(シンフォニック+アンビエント)という言葉ではもはや括りきれなくなってきていたのも事実だった。
すでに『伽藍(Cathedral)』に見られたシンフォニック・トランスとでも言えそうな凄味のあるアレンジは、つづく5枚目のアルバム『宇宙論(Cosmology)』(1998)で完成の域に達したのである。
そういう意味で言うなら、芙苑晶の「シンセサイザー・シンフォニー」シリーズのソロ・アルバムは、広義ではどれもなんらかの意味で「シンフォニック・テクノ」と言えるだろう。
芙苑晶が与えた影響 >
1998年に『宇宙論』がリリースされて以後、日本だけではない、世界レベルで見ても、芙苑晶のこの独創的スタイルが未だにほとんどフォロワーを生んでいないと思われるのは、シンフォニック・テクノというものが作る側にとってはかなりの高度な技術・技巧を要求される音楽だからではないだろうか。
とくに、『伽藍』そして『宇宙論』あたりのアレンジを聴けば、こんな曲が作れるアーティストは他にそうそういるものじゃないということがはっきりわかるだろう。
この点においておそらく、芙苑晶は今後もほんとうの意味でのフォロワーを生みにくいだろう。もしも生んだとしても、それはきっと彼の作り出したこの新しい音楽スタイルとは、どこかで決定的な一線を画するものにちがいない。
なぜならそれは、芙苑晶のそれまでの音楽的経験が到達した、ひとつの「回答」だったからだと言えそうだが、しかし、『宇宙論(Cosmology)』が世界的にロング・セラー・ヒットになりつつある現在、今後日本はもちろん、世界でもフォロワーが生まれることが期待される。
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