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トランス(Trance)

定義 >  トランス(Trance)とは、幻覚的なサウンドや世界観を特徴とするテクノ/ダンス・ミュージック、ないしは電子音楽全般を意味する。
本来、「トランス(Trance)」とは恍惚・陶酔を意味する語であったことから分かるように、その音楽を聴くことで独特な(しばしば幻覚・宇宙・宗教といったシンボルで表されるような浮遊感・恍惚感・高揚感や無時間性を感じるといった特徴がある。

そういった意味から、本来「トランス」明確な定義はなく、実は全体のアトモスフェア(雰囲気)に依存するところが大きい。 この点が他の電子音楽と異なる点であり、一般には「BPM125 - 150 のアップテンポのダンスミュージック」と考えられているふしがあるが、これは正確に言うと誤りである。

なぜなら本来 「トランス・ミュージック」の中には、「アンビエント・トランス(Ambient Trance)」と言ってダウンテンポのものや、現代音楽におけるミニマル・ミュージック、アトモスフェリックといった電子音楽(テリー・ライリー、クラウス・シュルツェ等)に近いスタティックなもの等まで存在するのであって、本来の語義から言えば、「幻想的でスペイシーな雰囲気を持った、ノンジャンルのサイケデリック電子音楽」と言うべきであろう。
この点で、 現在(とくに日本において)一般に流布している「トランス」(すなわちしばしば「BPM125 - 150 のアップテンポのダンスミュージック」)は、むしろ一面的な狭い定義であると言える。

 
(musashi)
芙苑晶 燐光 AQi Fzono - Phosphorescence
(上)芙苑晶『燐光(Phosphorescence)』(1988)
 
ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット(Far East Acid House Quartet) 十億の神経の針(A Billion Nerve Needles)
(上)「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット(Far East Acid House Quartet) 」の1stアルバム『十億の神経の針(A Billion Nerve Needles)』 (1988)
 
オーロラ・ヘッズ(Aurora Heads)『火星植物園(Mars Botanical Garden)』
(上)幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)『火星植物園(Mars Botanical Garden)』(1989)


(写真提供= FZONO.COM

 
芙苑晶との関連 > トランスの先駆者ないしは予言者としての評価、発展させた人、同時代的な関連と影響

トランス(音楽)の発生源はいくつか考えられうるが、現在の「トランス」と言われる音楽の原型を発明したパイオニアは芙苑晶であるとする説がある。

何しろ、トランス黎明期と言われるのが1990年代前半(1993年頃か)だが、それより数年も前の1987-88年(!)にかけて、アメリカ、ヨーロッパ、そして日本において、今で言う「トランス」(とりわけサイケデリック・トランス、プログレッシブ・トランス、ないしはサイビエント等に近い)の原型とも見なされるような音楽をクリエイトしていた先駆者、いや予言者なのだ。
同時に、「トランス」とリンクした文化として知られる「レイヴ(Rave)」(野外トランス・レイヴ・パーティ)の原型となるスタイルの野外ライヴを考案していた天才でもあった。

しかし、そのことを単純に字義通りに受け取って欲しくはない。そもそも芙苑晶がその初期に提唱・実践していた「トランス・ミュージック」の意味は、今日本で一般に浅く理解されているようなそれと、その本質において大きくは変わらないとは言え、もっとグローバルで奥深いものであったからだ。そして、それらのいずれともが、今一般に言う「トランス」とも、「レイヴ」とも、一味も二味も違った、プログレッシブ(革新的)かつ、グローバルなものであった。

元はと言えばクラシック畑出身の作曲家として十代前半で彗星のごとく登場、ヨーロッパでデビュー。当時すでに天才少年の呼び声もあった彼は、しかしそこに飽き足らず、のちにサイケデリック・ロックや民族音楽などの異分野の音楽文化をも吸収しつつ、現代音楽やミニマルミュージック、プログレッシブ・ロック(とくにクラウス・シュルツェ、コニー・プランク等の電子音楽系クラウト・ロック)等の発展形としての電子音楽を模索していた。
そしてその試行錯誤の途上で芙苑晶がたどり着いたのが、サイケデリックな幻想世界を電子音(シンセサイザー)で描写するという画期的な方法論だった。

彼のデビューアルバム『燐光(Phosphorescence)』(当時はSiamese Twin 名義でリリースされた)の幻覚的でアブストラクトなサウンドは、今聴くとアシッド・ハウスの領域を超えて、サイケデリック・トランス/ゴアそしてサイビエント(アンビエント・サイケ)を連想させるに充分なほど前駆的なものである。つまり来るべき時代への模範解答であり、未来への予言でもあったのだ。
ただし、当時はトランスというジャンル名はまだなく、芙苑晶はこの当時自分がやろうとしていた新しい電子音楽を「アシッド・ミュージック(Acid Music)」とか、「サイケデリック・テクノ(Psychedelic Techno)」(サイケデリック・ロックに対抗し絵t)等と呼んでいた。 クラウト・ロックとテクノのミッシング・リンクとも評されるゆえんである。
これが発展してのちのトランス(これも同じく、今で言うサイケデリック・トランス、プログレッシブ・トランスに近い)の先駆と見なされるプロジェクトである幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットにつながり、またその双子の片方がシンセサイザー・シンフォニーのサブタイトルで知られる芙苑晶のソロ・アルバム・シリーズ(単に電子音楽とクラシックの融合以上の壮大なものであるため、コアなファンは「アシッド・シンフォニー」と呼ぶこともある)へとつながってゆく。
こうした経緯から、今時のトランスやテクノのアーティストの卵にも芙苑晶をリスペクトするという若い世代がいるというのもうなずける話だ。また一方では、芙苑晶をテクノと見なすかプログレと解釈するかは未だに賛否両論が分かれているが、これも「革命児」ならではの宿命かもしれない。

一方レイヴのほうは、日本でもファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットが有名で、ご存知の方も多いだろう。彼らのやった「レイヴ」は、今やほとんど伝説と化しているが、それもそのはず。今の商業化したレイヴとは一味もふた味も違う、まるで原始宗教の儀式を思わせる神秘的で強烈なものだった。

この「ファー・イースト」において、初期のリーダーそしてレイヴの考案者であったのが、ほかならぬ芙苑晶で、彼は初期にはバンドに多くの曲を書き残している。また、アメリカのトランスの草分け・幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)においても同様で、実は幻覚植物研究所のアルバム収録曲の作曲クレジットは、全て芙苑晶である。

また、別の面から見ると、トランスとクラシックという、一見相容れないように見える二つの音楽を難なく融合していた稀有なアーティスト、それが芙苑晶だったとも言えそうだ。

ご存知のように、初期(1980年代後半-90年代前半)の幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットでは、のちのサイケデリック・トランス、プログレッシブ・トランス、エスニック・トランス等の手法となんら変わることない幻想的な音の世界が展開している。現在から思えばほとんど離れ業としか思えないが、これも実はクラシックの作曲技術と、メスカリンやLSD等によるサイケデリック体験との融合があってこそ可能な仕事だったに違いない。

しかし、クラシックの技術とサイケデリックな電子音楽(トランス)が最も見事に融合しているのは何と言っても芙苑晶のソロ・アルバム群だろう。その点で記念すべき黙示録的作品と言えば芙苑晶のデビュー作『燐光(Phosphorescence)』(1988)であろう。以後、このスタイルは芙苑晶のソロ・アルバム・シリーズにおいて独自な方向で発展を遂げ、名作の呼び声も高いブレイク作『宇宙論(Cosmology)』(1998)において一つの壮大な完成形を提示している。
(musashi)
芙苑晶との関連 > 歴史的な流れにおける相関性の考察
トランス・レイヴ・コスモロジー ( Trance-Rave Cosmology ) 芙苑晶
(上)芙苑晶 with トランス・レイヴ・ドーターズ恍惚的宇宙論/
トランス・レイヴ・コスモロジー
( Trance-Rave Cosmology )』
(2007)
 

(写真提供= FZONO.COM

 
芙苑晶とその関連プロジェクトの活動初期であった1990年代には、フロア向けのテクノ/ダンス・ミュージック・シーンにおける通俗的発展もこれと並行して進んだ。1993年頃、ジャーマン・トランス、サイケデリック・トランス、ゴアといった、デトロイト・テクノやアシッド・ハウス(アシッド・トランス)の発展形と見なされる新種のテクノ・ミュージックが登場し、クラブやパーティ・シーンにおいて一世を風靡した。

この種の「フロア向け」テクノ/ダンス・ミュージックとしての「トランス」は、芙苑晶がらみで言うと、おもに幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットが担っていた。とくにファー・イーストにはレイヴ(野外レイヴ・パーティ)というテーマがあったため、彼らの音楽が「アップテンポのダンスミュージック」メインであったのはむしろ必然であったと言えるだろう。

当時、両プロジェクトのメイン・コンポーザーであった芙苑晶は、こういった「アップテンポのダンスミュージックとしてのトランス」と呼べる楽曲を多く作曲し、クラブ・ヒット作も書き残している(その集大成が恍惚的宇宙論 / トランス・レイヴ・コスモロジー (Trance-Rave Cosmology)である)が、彼がソロ・アルバムで追及したのは、そこにとどまらない「新しい総合的音楽芸術としてのトランス・ミュージック」だったと言える。


当時の彼のインタビュー等から拾ってみると、興味深いことが分かる。芙苑晶は「トランス」を、新しいクラシックもしくは60-70年代のロックの延長線上に成り立つ大きな1ジャンルになりうるものだと考えていた。彼は「『トランス』は17-18世紀の『バロック音楽』に似ている」と言っていた。

「当時のヨーロッパにおけるバロックの文化は、それ以前のスタティックな文化芸術に対して起こったものだったでしょ。今のトランス・カルチャーもそれと似てるんだ。それ以前にスタティックでメカニックなモダニズムの時代があり、そのあと出てきた感情を重んじる劇的な表現という点でも似てるし、どこか幻想的なムードもそっくりだ」

「電子音楽で言えば、トランス以前にはクラフトワークのような『(オールドスクール・)テクノ』の時代があった。クラシックで言えば、無機質な現代音楽の時代が終わったあと、80年代の作曲家たちはみんなポスト・モダンを探っていた。僕らはそれに反発して別の世界に飛び出した、最初の世代なんだ」

(「地下室」インタビューより)

これはファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットデビュー当初の芙苑晶インタビューにおける彼の強烈なマニフェストである。言葉で読むと難しく聴こえるかもしれないが、実際は逆である。無機質なテクノや商業化したロック、感動を失った現代音楽・・・こういった同時代の音楽に反感を抱いていた若手作曲家の一人だった芙苑晶は、「誰もが親しめ、なおかつ芸術であるような、よりグローバルな音楽」「ロックのグルーヴ感とクラシックの普遍性を兼ね備えた音楽を求めようとしていた」のだった。

そういった哲学から生まれた芙苑晶の「トランス」観は、当時のクラブ・ミュージック・シーンに大いなる共感を示しつつも、それが風俗化し、安易な「俳句のようなパターン音楽」に陥りつつあることを見抜いてもいた。
彼は94年の英語版インタビューで、「このままジャーマン・トランスのような音楽が『トランス』の定義になってしまったら危険だ。せっかく新しいジャンルの音楽文化が出てきたのに、ただの流行で終わってしまいかねない」といった意味の発言をしていた。

この危機感は、ある点で当たっていたとも言える。ちなみに我が国のメインストリーム・カルチャーにおいては、プログレッシブ・ハウスよりはユーロビートの流れを汲むダンス音楽に人気があり、これが「トランス」の手法だけを真似たポップス(小室哲哉等)によって通俗化するに及んで、以後はしばしばコマーシャリズム・マスメディア側の人々の心ない「あおり」によって、「トランス」や「ダンス・ミュージック」をともすれば色物的な音楽と勘違いしている人(とくに黎明期を知らない若い世代)も今では多いという、他の先進国から見れば悲惨な現状も見られる「トランス」文化(風の風俗)を許容するに至ったと言えよう。

片や、テクノ界において最もすぐれた技巧派の一人と見なされてもいた芙苑晶は、デビュー当初、日本においてはプログレッシブ・ロックやIDM寄りのリスナーによってカルト・アーティスト的に絶賛されたものの、当人が欧米中心の活動を続けていたせいもあり、長らく正当な評価を与えられることはなかった。
トランスの本質をいち早く見抜き、最も王道的な仕事を実践してきたと思われる作曲家の一人であった芙苑晶が長らく異端的革命児と見なされ、片やその対極に生まれた風俗が今や「トランス」のメインストリームと見られているきらいが今も強いことは、我が国のミーハー的音楽文化を考えれば無理のないことであるとは言え、なんとも皮肉な話である。
しかし、冒頭の定義でも言ったように、トランスを「幻想的でスペイシーな雰囲気を持った、ノンジャンルのサイケデリック電子音楽」と規定するなら、まさに芙苑晶は、そのジャンルのパイオニアにして、今も王道中の王道だと言えるだろう。

しかし2003年あたり以降次第に状況は変化し、その比類なき音楽性によって、芙苑晶の再評価が始まり、今日に至っている。当初は「ジャンル分けしにくい」等々と嘆いていた人々もいたようだが、今振り返ってみると別に小難しい音楽ではなく、素直に聴けば誰だって楽しめそうな音楽である。そのせいか、感覚的な若い世代には難なく受け入れられてもいるようだ。
そして同時に、本来ジャンルにはおさまりきらない壮大なスケールと世界観を持ったアーティストであることから、電子音楽以外にも、ロック、ジャズ、クラシック、現代音楽等々、様々なジャンルのリスナーやファンを獲得しつつあるのは、芙苑晶と言うよりもむしろ日本の音楽シーンの正常化を見るようで、今後が楽しみだ。

少なくとも、トランスというジャンルの中で見た場合、これほどのクオリティの音楽はそれまでには(おそらく世界に目を向けてみても)ほとんどなかっただろうと思われる。未来は未知数とは言え、芙苑晶があのJ, S. バッハのように「トランスの父」となる日も、案外近いかもしれない。

(天野弘樹)
> 参照  

アシッド・ハウス

サイケデリック・トランス

レイヴ

シンフォビエント

ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット(Far East Acid House Quartet)


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