| ディスクレビュー |
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アンビエント、トランス、ハウス、プログレッシブなど、さまざまなエレクトロニック・ミュージックのスタイルを駆使しながらも、より高度にシンフォニック・エレクトロニカとも言えるアレンジを駆使してよりトータルな交響詩的音響世界を志向した、芙苑晶の5作目にして90年代最後を飾る傑作。ファンの間でも評価が高く、芙苑晶の世界を代表する名盤と言っていいだろう。
オリジナル盤は1998年発表。その後、発売元の、NYの Nerve Nets Records が閉鎖されたため廃盤扱いとなっていたが、2006年4月22日、同じくアメリカのテクノ・レーベル Lavalamp Records よりデジタル・リマスター盤が再発された。
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| このアルバムは全体にポップな印象がある。全編に流れるエレクトロ・ポップ的なアレンジのせいだろうか。強烈なインパクトを残すジャケットとテーマにはこころなしか時代の影響も感じられる。そう言えば、リリースされたのがちょうどクラブ・ミュージック全盛期でもあり、クラブでもDJなどが結構かけていたようだ。 |
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| 表面的な意味で言えば、音は、『木霊』の頃から思えば別人のような変わりようで、かなりクラブ・ミュージックに影響された(あるいは意識的に取り入れた)サウンドになっている。それでもふつうの凡百のテクノと違っているのは、芙苑晶のクラシックに裏打ちされた作曲テクニックのせいだと思う。 |
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| 当時テクノ・ブームの影響下に雨後の竹の子のようにアマチュアのテクノ・ミュージシャンたちが登場したが、その中にあってもこのアルバムはひときわ異彩を放っていた。テクノと呼ぶにはあまりにもダイナミックなサウンドに驚いたDJやテクノ・アーティストが芙苑晶へのリスペクトを表明、このアルバムを絶賛していた例もしばしば見られた。だが元々芙苑晶はそういった一つのカテゴリーに属しきれないスケールの大きなアーティストであり、当たり前だがべつに彼はテクノへ「転向した」わけではない。 |
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| トータルな印象としては、「重厚だがポップ」という、見る人が見れば結構危うい線を狙っているなという感じがあって興味深い。この危うい線というのは、クラシックを学び、なおかつトランス・ミュージックのバンドなどでキーボード奏者として活動してきた芙苑晶にしかできない深く重厚な音楽だと思う。 |
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それは他のアルバムにも言えることなのだが、このアルバムはそういう特徴がとくによく出ているということだ。
もっとシニカルな言い方をすれば、彼にとって長年の呪縛でもあった「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット」の解散(田嶋エリサの死と引き替えにという皮肉なオマケはついたが)によって呪縛から逃れえた時期と相前後する1995〜97年にかけて、ようやくソロ・アーティストとしての自由を獲得した彼が、とにかくそれまでのクラシックから実験音楽、アンビエントからハウスに至るまであらゆるスタイルの音楽的学習経験を一つの組曲スタイルのアルバムの中にこれでもかと詰め込んだという印象があり、とくに比較的よく引用されているテクノ・リズムを聴くと、彼がこの十年近く自分を縛っていたあの「呪われたバンド」こと「ファー・イースト」へのパーソナルな復讐を秘かに試みているように思えたりもするのは、これはゲスの勘ぐりというものだろうか。 |
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| とにかく、そういうキャラクターのアルバムだから、入っていけば深いが、逆に言うとふつうの人にも聴きやすく、曲もポップな感じのものが多いので、入門者向けには最適なアルバムでもある。当然ながら、おそらく最も人気の高いアルバムであり、再発が望まれる作品だ。 |
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| また、このアルバムではマダム呪々のギターがなかなか効いていると思う。マダム呪々というと、どうしてもフリーキーなサイケデリック・トーンの前衛的ギター奏法が思い浮かぶが、彼の秘かに敬愛するというブライアン・メイばりの渋いトーンのギターソロが効いている曲が数曲あって、「オッ、なかなか弾けるんじゃん」と思ってしまう人も多いのではないだろうか。 |
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| エピソード |
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なお、このアルバムには逸話がある。このアルバムを作る数年前、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットがまだライブをやっていた時代のことだというから、おそらく90年代初期であると思われるが、ある夜、出番を控えてメンバー四人が楽屋で待機していた時、市川カヲルが芙苑晶の才能を褒め、「晶は作曲の天才だ」と言った。
すると、芙苑晶は顔色一つ変えずに他のメンバーの前で、こう豪語したという。
「その通りさ。俺はどんな曲でも書ける。この世に、俺に書けない曲なんかない。あるなら言ってみろ、書いてやるから。ジャズでも童謡でも演歌でも、どんな曲でもいいぞ」
するとその場にいたスペースDJリョウ(彼は芙苑晶と同じくらいプライドが高くてブラックユーモアのセンスで有名だった)が、芙苑晶にこう言った。
「じゃあヒット曲を書いてみろ。いくらお前でもヒット曲は書けないだろ」
芙苑晶は答えて、
「ヒットするかどうかは運だから分からないが、ダンス・チャートのトップ10に入るような、そんなキャラクターの曲でいいなら書けるぞ」
リョウはにやりと笑って「ぜひ」と答えた。
「もしお前がほんとにそんな曲を書いたら、俺は頭を丸坊主にしてやるよ」
他の二人のメンバー、田嶋エリサと市川カヲルはキョトンとした顔だった。他にも数名取り巻きのような人たちがいて、この会話を聞いていた。みな不思議な気がしたという。というのも、当時芙苑晶は、「天才」には違いないが、ヒット曲タイプの曲は書けないだろうと思われていたのである。
一週間ほど経って、バンド・ミーティングがあった。その時芙苑晶が新曲と称するデモテープを持参してきた。そして皆に言った。
「これがトップ10ヒット曲だ」
芙苑晶がプレイバックしたのが このアルバムに収録されている『宇宙論5(Cosmology 5)』の原型となった曲だった(アレンジはいくらか違っていたが、他はほぼ同じだった)。
皆は「ほんとうだ、これはトップヒット10だ!」と言って仰天したという。
リョウは、「降参した」と言い、頭をスキンヘッドにしてきたそうだ。彼がファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットの後期にスキンヘッドになったのは、元々はこの「賭け」に負けたせいだといわれる。
そしてこの曲はそののち、数奇な運命を辿った。最初これは、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットのレパートリーになったが、当初は題名がなくて「トップヒット10」という曲名がついていたと言われる。そのあと「コメット(彗星)」という題名に変わって、市川カヲルがリリコーンでメロディをとるインストゥルメンタル・テクノとして、ライブではおもにアンコールの時に頻繁に演奏されていた。
「コメット」という題名を付けたのは市川カヲルだった。彼女は最初これを聴いた時「深い、吸い込まれるような夜の空に、数え切れないくらい彗星がたくさん流れてる」と言ったのだそうだ。
この、ライブで演奏されて有名になったインスト・テクノのヴァージョンの他に、英語の歌詞をつけたものに田嶋エリサがヴォーカルを録音したヴァージョンが秘かにレコーディングされた(1993年頃と思われる)。これは幻の未発表作品として、今日まで眠り続けている。
そういうわけで「コメット」は、ファンなら誰もが知っている曲であったにもかかわらず、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットのアルバムに収録されることはなかった。なぜならこの曲を書けと命じた張本人のスペースDJリョウが、「俺たちのテイストに合わない」と言ってアルバムに収録したがらなかったのだ。
そしてさらに数年を経て、このバンドが解散した直後に発表されたこの芙苑晶のソロ作品『宇宙論』に、この曲はアレンジを大幅に変えて収録された。スペースDJリョウは「この曲を聴くと、あの頃のことを思い出す」と言ったそうだ。
したがってこの『宇宙論5』は意外に古い曲なのだそうだ。 |
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(上埜邦彦) |