| ディスクレビュー |
| |
| 芙苑晶の公式な 1st アルバムで、1988年の暮れに Siamese Twin (サイアミーズ・ツイン)という奇妙な名前でリリースされている。 Siamese Twin とは英語で「シャム双生児」の意味であり、自作『木霊』の初回プレスまで芙苑晶はこの名前を使って作品を作り、1991年頃(?)まで、顔も経歴も一切明かさずインタビューにも応じないという覆面作家として神秘的な存在だった。 |
| |
当時出たアナログ盤のインナースリーブを見ると、「 Siamese Twin plays Moog Synthesizers with Mescalin Symphonic Orchestra」(シャム双生児=ムーグ・シンセサイザー演奏、メスカリン・シンフォニック・オーケストラとともに)という奇妙なクレジットが見られる。
(ただし、クレジットを見ると、もちろんムーグ以外にもいろいろなシンセサイザーが使われている。)
この、ややナンセンス・ジョーク風のクレジットからも推理できるように、芙苑晶は当時ロンドンあるいはイビザ島滞在中にメスカリンの影響を受けてこのアルバムを作り、題名の『燐光』の意味は、メスカリンによる幻覚の意味(メスカリンを飲むと、あらゆる物体がそれぞれに固有のオーラのような輝きうねる色の波を帯びて見えることから)だという通説があるが、また別な説によれば題名の『燐光』というのはサイケデリック・ドラッグの幻覚などとはまったく関係がなく、ランボオの詩集「イルミナシオン」から取られているのだという説もあって、これまた謎である。 |
| |
アルバムは2作目(通算では3作目)『木霊』以後の楽曲的な世界とは違い、かなり実験的で前衛的な内容となっている。部分的にアシッド・ハウスなどの影響を感じさせるサウンドがときおり現れることを除くと、むしろ一種のトリップ・ミュージックとでも言うか、アブストラクトでフリーな、どちらかというとシュールリアリズム的アンビエントとでも言えるような、近未来的な静けさのようなものを感じさせる、シンセサイザーを使った幻想的なインストゥルメンタルと言えばいいだろうか。譜面では表しきれないような幻想的な音楽だ。
とくに、クレジットにあるように、ムーグ・シンセサイザーを何台かパラレルで使ったり、テープ・コラージュ(サンプラーではない)を駆使してレコーディングしているようで、そのややレトロでもあり同時に超未来的な、独特なサウンドは印象的で、たしかにメスカリンの幻覚世界を思わせるような無限とも思える広がりがあるサウンドである。
このアルバムに近い感じのサウンドをあえて言い表すとすると、アシッド・ハウスの影響のもと、芙苑晶が若い頃影響を受けていたというクラウス・シュルツ(初期。1970年代半ば頃の)+アルテミエフの「惑星ソラリス」のサウンドトラックをつき混ぜたような「芙苑流アンビエント・テクノ」という感じだろうか(かなり苦しいたとえ、わかるかな …… )。
とくにシュルツからの影響はあったように思われ、このアルバムと、二作目の『木霊(Echoes)』それにつづく『荒廃(Ruins)』あたりまでは、ムーグや ARP のシーケンス・パターンを中核に据えた幻想的なトリップ・ミュージックのイメージが強く、モジュラーシンセを多用したビジュアルに、ヘアスタイルとか服装も似てた(微笑)ことなどとも相まって、当時すでにいた一部日本のマニアの間で「芙苑晶=日本のクラウス・シュルツ」なんて言われていたこともあった(今思うとなんだか寒いキャッチである …… )。
これは、今振り返ってみると、まだ作品が少なく、アーティストとしてのイメージが捉えづらかったせいもあって、苦しまぎれに出てきた形容としか言いようがない。そのあと、『伽藍(Cathedral)』(95)『宇宙論(Cosmology)』(98)あたりで出てきた「Japanese Vangelis」にしても同じことが言いうる。
たんなるテクノという範囲におさまりきらない、スケールの大きなエレクトロニック・ミュージックという意味で、そういったシンセ・アーティストとの比較論がしばしばなされてきた芙苑晶だが、今聴き直して見ると、それは聴く者の勝手な刷り込みというか、偏見だったことはあきらかで、この1stでさえ、ちゃんと音楽はしっかり「芙苑晶」している。
『木霊』以降のソロアルバムに見られる鮮烈さ、派手さ、シンフォニックな広がりはまだ見られないものの、これは「こないだシンセとパソコン買って打ち込み始めました」的な若手のテクノ・ミュージシャンには作れない成熟度の高い音楽だ。
それと同時に、よく聞くと、芙苑晶の、ほとんど生まれながらに自分の体に染み込んでいるクラシックへの債務を振り切るような姿勢もここには感じられるのが興味深い。 |
| |
とはいえ、このアルバムは当時電子音楽、前衛音楽、アンビエントなどのマニアに高く評価されたものの、芙苑晶の作品の中では最も売れなかったアルバムであり、そのため Nerve Nets Records はこのアルバムをすぐに廃盤にしてしまった。
それでこのアルバムはたった一度リリースされたきりで、以後長年芙苑晶のディスコグラフィから消えていた(現在も、公式のディスコグラフィでは登場しない傾向にある)。そのために芙苑晶の1st は『木霊』であると書いている文献が多いが、実際には『燐光』が1stで、『木霊』は2作目にあたる作品であり、「公式な」1st と言うべきだろう。 |
| |
このアルバムについて触れようと思えば、このアルバムの発端となった1988年の夏にまで遡るべきだろう。
この時、芙苑晶は当時キーボード奏者として在籍していた「淫心」のメンバーとともに全員でロンドンに滞在、偶然にもその夏大流行したアシッド・ハウス・ムーブメントに遭遇、音楽的精神的に影響を受け、あるいはおそらく人生観も変わるぐらいのカルチャーショックを受けて、バンド名を「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット( Far East Acid House Quartet=以下「ファー・イースト」)」と変え、再出発したというところから始まっている。 |
| |
この夏の彼らの興奮と感化はかなりのものだったらしく、四人ともアシッド・ハウスにイカれてしまい、4人がそれぞれに旅費(服などを買うつもりだったという)をはたいて機材を買い込み、友人になったミュージシャン、デヴィッド・ローレンツの家に寝泊まりしつつ、彼のホームスタジオで「ファー・イースト」としての 1st アルバムをレコーディングし始めた。
|
そして彼らがその1st『十億の神経の針(A Billion Nerve Needles)』をレコーディングしている最中に、芙苑晶は真夜中も一人で仕事を続け、たくさん曲をレコーディングし、とうとう1枚におさまりきらなくなったため、最初「ファー・イースト」のアルバムを2枚組で出すという案もあったらしいが、無名の新人バンドのデビュー・アルバムを2枚組にすると売れないというビジネス上の判断、それに芙苑晶のソロ曲が半分以上を占めていたため、メンバーたちとプロデューサーのデヴィッド・ローレンツは、「ファー・イースト」のアルバムとは別に、芙苑晶にソロ・アルバムを作ることを勧めた。
そしてローレンツと芙苑晶は相談し、候補曲をタイプ別に半分に分割し、フロア向けのダンスミュージック・タイプのものを『十億の神経の針』に、アンビエント・テクノ(リスニング・テクノ)タイプのものを『燐光』に入れるという作業を始めた。
これが、このアルバムの誕生秘話である。
また、『十億の神経の針』というのは当初、芙苑晶の1st ソロ・アルバムのタイトルとして考えられていたことならどからも、これら二作がほぼ並行してレコーディングされ(厳密には、芙苑晶はこのあと、二ヶ月後に、『燐光』をイビザ島の貸家でレコーディングし直して仕上げている)、双子のような関係にあるらしいことは確かである。
いずれにせよ、『燐光』には、当時のセカンド・サマー・オブ・ラブやネオ・ヒッピー、それにアシッド・ハウスといったカウンター・カルチャーのムーブメントが大きく関連していることはもはや疑いの余地がない。808ステイトやシェイメンのような典型的なフロア向けのアシッド・ハウスを生み出したセカンド・サマー・オブ・ラヴの中で誕生した、異色のアンビエント・テクノ・アルバムだと言える。 |
| |
(上埜邦彦) |