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芙苑晶 ディスクレビュー > 芙苑晶ソロアルバム > 荒廃
荒廃
( Ruins )
 ( 1993 )
ジャケット タイトル
(英語タイトル=原題)
発表年 レーベル メディア ネイション
芙苑晶 荒廃 AQi Fzono Ruins 荒廃
( Ruins )
1993 Nerve Nets CD USA,Holland
関連ジャンル

ダーク・アンビエント、レイヴ、トランス、ハウス、テクノ、クラシック、ミュージック・コンクレート

音楽のタイプ

ダーク・アンビエントを主体に、ハウスやトランスのスタイルが混入しているが、いずれも芙苑晶一流の「シンフォビエント」的、「SFミュージック」的な、オリジナルなアレンジに昇華されているのがかえってスゴイ

サウンド さまざまなサウンドが入り乱れ、シンフォビエント的な混沌はますます深まる一方、 それ以前には見られなかった、「レイヴ」的な、全体にザラザラしたサイバーパンク的サウンドが特徴。古くさいアナログ・シンセの枯れたような音に加え、PPG と思われるザラついた音が印象に残る。
前作『木霊』の幻想性を引き継ぎつつも、それとは対照的に、アグレッシブでエッジの鋭いサウンドになっており、時代を感じさせる。ブレイクビーツ等の使用もこのアルバム以降に始まっている。『木霊』にはなかったアシッド・ハウスのサウンドも復活している
ますます過激で前衛性を増したサウンドコラージュに、ファルフィッサ・オルガンの音がなんとも言えず不気味。
音源/入手可能度 レア。ほとんど見つからない。
見つかった場合はプレミア価格がつくことが多い
テーマ 都会(における環境破壊や人間の家畜化)への憎悪がテーマになっていると思われるが、興味深いことに、自然を賛美するという方向ではなく、人工的なものへの愛着をみずから表明しつつ、絶望的な隠遁生活をするという、90年代型「テクノ・ヒッピー」の思想を表現した作品といわれる。
関連項目/文化現象
  • ダーク・アンビエント

  • アシッド・ハウス

  • シンフォビエント

  • SFミュージック

  • ジャーマン・テクノ

  • レイヴ・コミューン

  • テクノ・ヒッピー

エピソード ヒッピー時代、レイヴ・人里離れた廃墟のコミューン「灰と太陽の共和国」で、実際にその場の環境音までも録りこんで制作された幻想組曲。
このアルバムと前作『木霊』、前々作『燐光』の3作が、レイヴ・コミューン構想や、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットでの数々のイリーガル・レイヴ伝説とともに、芙苑晶=「テクノ・ヒッピー」「ネオ・ヒッピー」の元祖、という標語を産んだ。
ディスクレビュー
 

 芙苑晶の3枚目のアルバム。のち(97年頃?)に再発時のキャプションによれば「ヒッピー時代、人里離れた廃墟のコミューンで、実際にその場の環境音までも録りこんで制作された幻想組曲」である。
 何のことかわからない人も多いだろうが、1992年頃芙苑晶は、オランダの田舎に棲みヒッピーたちととともに荒れ果てた古い農家でコミューン生活をしており、このアルバムはそこでレコーディングされたものである。

 日本語タイトルの『荒廃』は、ややわかりにくい題だが、英語タイトル(つまり原題)の「Ruins」つまり廃墟の意味で、これは当時芙苑晶が、実際に彼の友人たちとともに住んでいたあばら家=レイヴ・コミューン「灰と太陽の共和国」のことを表している。

 その廃墟のコミューンやレイヴ・パーティなどの、当時の芙苑晶のプライベート・ライフの断面図を垣間見るようなアルバムである。
 それはしかし当時の生活のドキュメントという意味ではなく、一人のヒッピーの若者が幻視した白昼夢的な世界を電子音楽で表現したアルバムといったイメージである。

  アルバムの随所に挿入されている話し声や物音の大半は、実際に、アルバムのレコーディングの最中に、遊び半分にランダムに録音された「日常生活の音」を流用したものだといわれ、シンセサイザーで変調されている音も多いのでどれがどれかは区別がつきにくいが、現実音が多用されていることが、かえってLSDによる幻覚トリップのような、シュールで異様な雰囲気を出しているのがユニークである。

『宇宙論( Cosmology )』以後の作品に比べ、このアルバムを含むシンフォビエント三部作は私小説的な色合いが感じられるが、このアルバムはとくにそうだという気がする。
 また、ジャケットからもわかるように、田嶋エリサ(クラブ・ダンサーであり「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット」のメンバーでもあった当時の彼の奥さん)からの影響だろうか、チベット密教などの神秘主義からの影響などもあったようだ。

 
 そういった状況もあって、アルバムは全体的に、独特のダウナーな雰囲気の作品であり、またある意味では、芙苑晶が一時傾倒していたというアモン・デュール、あるいはクラウス・シュルツなどにも通じる幻想と現実が入り乱れた混沌の世界である。なぜそう思うのかわからないが、こういう音楽は若い時にしか作れなかった作品だろうという気もする。

 そういえば、一部で芙苑晶が「和製クラウス・シュルツ」(!)などと言われるようになったのもこの頃だったかもしれない。
 
 サウンド面では、時代の影響を受けてだろう、レイヴ的な志向も随所に現れ始めているが、70年代のクラウトロック(ジャーマン・ロック)にも通じる、覚醒感覚を秘めたトランス・ハウスとでもいおうか、ただのダンス・トラックとは割り切れないような不思議な世界であるとともに、やがて後年芙苑晶のトレードマークの一つにもなっていく、「ザラザラした音」が本格的に聴かれるようになるのもこのアルバムからである。
 
 また、音に厚みも出てきている。機材が増えたせいもあろうが、友人のイギリス人のミュージシャン・デヴィッド・ローレンツ から大型の Moog III-p を購入したり、他に ARP 2600、2500なども使っているようで、こうしたモジュラー・シンセを使ったインテリジェント・テクノ的な実験的な音も目立っているほか、サンプラーの荒々しい感じの音やブレイクビーツを使ったリズムも、それまで、『木霊』以前の作品には見られなかったものである。
 
 だが共通点と言えば、芙苑晶の初期の三枚は、どれもコアなファンに人気のある「渋い」作品で、いずれもどこか荒涼とした、霊的ともいえるような一種独特のダークな雰囲気を持ち、かつ奇妙な静けさを湛えた不思議な世界となっている。
 
 音楽的にはいくらかまだ『木霊』の延長線上にあるようにも感じられるが、この作品が前の二作『燐光』『木霊』とはっきり違うのは、ハウス/テクノ的なリズムの使用が目立ってきた点であろうが、たとえ音が派手であっても、芙苑晶の初期の音楽に特有の、「奇妙な静けさ」はここでもはっきりと感じ取れるのが興味深い。
 
 このアルバムに感じられる奇妙な静けさと、飽和した覚醒感覚は、さっきも言ったが、ある種のジャーマン・ロックにも通じるもので、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットのインタビューで、かつて芙苑晶がアモン・デュールを絶賛していたことなどとも重ねて見ると、1960-70年代におけるプログレッシブ・ロックと、1980-90年代におけるアンビエント・テクノとが二重写しになり、その稀有な(とくに日本においては)ミッシングリンクとしての芙苑晶というものが見えてくる気がする。

 そしてまた、アモン・デュールとも通じるもう一つの共通項としての、コミューン生活とその「荒廃」というものがはからずも描出されているという点において、やはりこれは何か時代を象徴する、因縁めいたアルバムだという気がしなくもない。芙苑晶作品としてはあまり人気がないほうに属するが、個人的には好きな作品で、サイケデリック系が好きな人にはお勧めである。
 
(上埜邦彦)  
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