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ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット
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十億の神経の針
(A Billion Nerve Needles)
( 1988 )
ジャケット タイトル
(英語タイトル=原題)
発表年 レーベル メディア ネイション
ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット Far East Acid House Quartet 十億の神経の針
( A Billion Nerve Needles )
1988 Nerve Nets

LP
(のちに
CD 化)

USA, Japan, Europe
関連ジャンル

サイケデリック・トランス、アシッド・ハウス、ゴア、
レイヴ、テクノ、ダーク・アンビエント、クラウトロック

イメージ アシッドな、サイケデリックな、レイヴ、陶酔と熱狂、カルト
音楽のタイプ

ダンス・ミュージック。とりわけ、典型的なアシッド・ハウス〜サイケデリック・トランスの装いをまとった音楽だが、よく聴くと全編にむんむん漂う濃厚なロックの匂い。それもクラウトロック(ジャーマン・プログレッシブ/サイケデリック・ロック)系に通ずるある種の独特な混沌と狂気と身勝手な情熱、とでも言おうか?
今聴くと、このアンサンブルは実は非常に個性的なもので、まさに彼らにしか創り出せなかった独自な音楽だということがわかる。典型的なアシッド・ハウスを踏襲しているだけに、逆に彼らの独創性が浮き上がって見えるのだ。そこが凄い。

テクノのみならずプログレ・リスナーにもファンが多かったと言われる彼らだが、このアルバムはとくに、それがわかる感じだ。「アシッドにイカレた青春の狂気」を感じさせる熱いサイケデリック・テクノ。そして、曲間に挿入される、時代を先取りした恐ろしいほどのダーク・アンビエント …… ! まさに音によるトリップで、これ以上何も言うことなし。黙って聴け。
(以上、わからない人は勉強しなさい! 説明しているヒマはない。)

サウンド EMS VCS3、TB-303、ARP2500、Juno-106 あたりと思われるシンセ群が繰り出すギトギトに情熱的でアシッドなシーケンス&ベース・サウンドに、なぜか妙にそこだけクールに聞こえる4ッ打ちキック。このミスマッチな組み合わせが滅茶苦茶カッコイイ。
そして片や、メロディやオカズに出てくる、シタール、テレミン、サックス、オルガン etc. …… まさに彼らの独壇場。
音源/入手可能度 レアだが、たまに見つかる場合がある。
人気の高い作品のため、再発の可能性は高い
主な使用楽器、器材

シンセサイザー:TB-303(4名が1台ずつ、合計4台使用!), EMS VCS3, ARP2500, Omni2, Moog Modular System, Roland Juno-106, SH-5, Alpha Juno-2, Korg PS-3300, PPG Wave2.2, Waveterm, CASIO CZ-5000, TR-909, TR-808, 他
ターンテーブル、ピアノ、テレミン、オルガン(ファルフィッサ?)、サックス、リリコーン、シタール、様々な民族楽器とパーカッション
(写真、インタビュー、サウンド等から推定)

クレジット 田嶋エリサ:ダンス、パーカッション、シタール、民族楽器、TB-303
スペースDJリョウ:ターンテーブル、ビート、プログラミング 、TB-303
芙苑晶:シンセサイザー、キーボード、ピアノ、テレミン、TB-303
市川カヲル:サックス、ウィンド、ベース・シンセサイザー、TB-303
ゲスト Hypnotic Twin ( David Laurenz + DJ Third Eye ) : Synthesizers
テーマ メンバーたち自らの、セカンド・サマー・オブ・ラブにおける、アシッド(LSD)/メスカリン等のサイケデリック・ドラッグス体験をベースに、フランスの詩人・アンリ・ミショーの詩とリンクしたイメージの世界を表現。
アルバム中には、ミショーの著書/詩作品からタイトルを拝借した名曲『みじめな奇蹟』も収録、彼らののちの代表曲の一つとなった。
関連項目/文化現象
エピソード 日本のアンダーグラウンド・サイケデリック・ロック・バンドであった「淫心」の4名が、1988年の夏、半分気まぐれで出かけたロンドンで偶然、アシッド・ハウス・ムーブメントとして知られる「セカンド・サマー・オブ・ラブ」に遭遇。バンド名を「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット(Far East Acid House Quartet) 」と改めて再出発したという、今ではほとんど伝説となっているエピソードに飾られ、そんな時代の中でこそ誕生した、記念すべきアルバム。
その他 レコーディングは、プロデューサーであった Hypnotic Twin ( David Laurenz + DJ Third Eye )の自宅スタジオで行われた。
ディスクレビュー
 


言わずと知れた東洋の元祖アシッド・ハウス・バンド「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット(Far East Acid House Quartet) 」の 伝説的なデビュー作にして、アシッド・ハウス黎明期、90年代へと流れてゆくネオ・ヒッピー・カルチャーの勃興と、アシッド・ハウス・ムーブメントのまさに一つの頂点であった、1988年、セカンド・サマー・オブ・ラブの熱狂の中、ロンドンで制作された記念碑的な1st。

 
アシッド・ハウスという新しい電子音楽を、少なくとも日本人アーティストではおそらく誰よりも早く手がけていたと思われる芙苑晶(彼はこのアルバムより早く、1987年のNYにおいて、幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)のライブでそれを手がけている)を中心に、元々アモン・デュール等のジャーマン・サイケデリック・ロック(クラウトロック)に影響されていた四人の日本人の若者たちが作り出した音楽は、一見、典型的なアシッド・ハウスの装いながら、今じっくり聴いてみるとやはり、元々ロックとサブカルチャーにリンクしたバンドである彼ららしい、ほんとうの意味での「アシッド」感横溢するものになっている。
 
何より特筆に値するのは、いくらダンス・ミュージックといっても軽薄にならず、どこか重苦しく熱っぽく、サイケデリック・ロックの匂い、ひいてはドラッグの匂いがぷんぷんするところが、やっぱりファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットたるゆえんなのだろう。
 
言ってみれば、その後(おそらく1990年代半ばあたりからか?)、「サイケデリック・トランス」へ進化しながら大衆化・通俗化していったアシッド・ハウス/ゴア(これらは大まかには、全て、ほぼ同じものと言ってよい)という音楽は、比較的安価な機材、安易な手段によって「再現」(創造ではなく)できる特性から、芙苑晶の言葉を借りれば「あたかも60年代にエレキ・ブームがあり、誰もがロックンロールをやりたがったように」、アシッド・ハウスの形だけを真似たインスタントな「コピー&ペイスト音楽」が、アマチュアのものまで含めるとかなりな数、巷に溢れ、アシッド・ハウスの本来の精神を骨抜きにされ、ただ形骸化したむざんな残骸として目に余る状況を呈するに至ったのだった。
 
だが、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットの音楽は、その本質的な精神性・音楽性の両方において、そういった有象無象の「インスタント・アシッド・ハウス」たちとは対極に位置するものだ。
彼らの音楽は、つねにそのルーツである、クラウトロックの精神ならびにその文化的スペクトルとつねにリンクすることで創造への衝動とそのモティーフを生み出してきた。彼らがサイケデリック体験を云々したのも(母国日本ではただのスキャンダルとしか受け取られたなかったけれど)、伊達ではなかったということだ。
 
また、これも見落とされがちだが、彼らの四人四様に豊かな音楽的・文化的バックボーンも見逃してはならないと思う。
音楽面だけとっても、田嶋エリサの民族音楽/サイケデリックロック、スペースDJリョウのパンク/インダストリアル/ニューウェーブ、芙苑晶のクラシック/電子音楽/クラウトロック、市川カヲルのジャズ/フリーミュージック/前衛音楽と、彼らは元々とても幅広いスペクトルを持っていたのだし、また、文化的な面で見ても、田嶋エリサののちのチベット密教やインド哲学などへの傾倒、芙苑晶のレイヴ・コミューン構想に代表されるネオ・ヒッピイズム等々、思想的にも広がりがあった。
 
そして、いわば、そういった一見バラバラにも見える、様々に雑多な要素が、アシッド・ハウスというものを媒体として(ここが重要。アシッド・ハウスは彼らにとって「目標」ではなく、ただの「媒体」であったということを忘れてはならない)奇跡的に合体・融合することで、ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテットというバンドなり、あのサウンドが生み出されていったのであり、その逆ではなかったということだ。
 
アルバムに話を戻して、音質的には、これも幻覚植物研究所(Psychedelic Plants Research Laboratory)の 1st 同様、今聴くと音はやや古さが感じられるものの、1988年という時代を考えると、コンセプト、サウンド、アレンジとも、とても考えられないほどの高度なクオリティを持っている。まだいずれも20才そこそこの少年少女たちが自主制作で創った音楽と思えばなおのことだ。
 
1988年といえばまさにアシッド・ハウスの勃興期であり、しかもこのバンドの4人のメンバーがロンドンへ出かけたのはほんの気まぐれからだったという。いわば全くの偶然の積み重ねから「時代と寝たバンド」となった彼らだが、しかし彼らにとっての最高の偶然は芙苑晶がいてくれたことだったろう。
バンド随一のアレンジャーであった芙苑晶がクラシックの素養を持っていたために、「ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット」はただの流行と添い寝したバンドにならずに済んだとも言える。「ファー・イースト」の曲のアレンジがどれもそれなりの独創性を持っているのは、実はこうした(他のテクノ系バンド/アーティストたちが素人が多く、見落とされがちな)「アレンジのシッカリ具合」が大いに影響しているからだ。
見えにくい部分だが、これは意外と重要なことだ。

のちに(1993年頃か?)おこなわれたインタビューの中で、バンド・メンバーたちは四人四様にメスカリン体験を告白しており、それがきっかけでこのアルバムができたのだと語っているが、なるほど音的にはいわゆるアシッド・トランス、それもかなりどろどろしたサイケデリックという感じのアルバムだが、よくある単なる流行り物で終わっていないのは、やはり(決してファンサイトだからこう言うわけではないが)芙苑晶のコンポーザー/アレンジャーとしての才能に負うところが大きい。浮沈変転の激しいクラブ・ミュージックの世界にあって、「ファー・イースト」が細く長く評価されてきたのは、楽曲がしっかりしていたからである。

そしてまた、彼らがこの夏ロンドンで偶然セカンド・サマー・オブ・ラブなり、アシッド・ハウス・ムーブメントに出会わなかったとしたら、つまり彼らが「淫心」のままでずっと87年以前と同じようなことをやり続けていたとしたら、彼らはまったく忘れ去られたバンドになっていたに違いない。アシッド・ハウスという形式を獲得したことで、「淫心」の混乱は整理され、彼らはバンドとしてもある方向性を持つようになったのだった。

そして見過ごされがちな点だが、芙苑晶はこのアルバムにおいてはプロデューサー的な役割も果たしている。意外だろうが、アルバム・タイトルやジャケット・デザインを担当しているほか、さらには挿入される詩を書き下ろしていたのもなんとすべて彼なのだ。
「ファー・イースト」ではスペースDJリョウがリーダー、田嶋エリサが花形スター、市川カヲルがスポークスマン的な役割を果たしていたため、芙苑晶はいわばバンドの「目立たないキーボード奏者兼アレンジャー」タイプと見なされる傾向にあり、最も地味な存在である(彼がこのバンドを長年やめたがっていたというエピソードなどもそれに輪を掛けているだろう)が、しかし実のところ1st アルバムの創作面を仕切っていたのは芙苑晶だったのである。芙苑晶の詩人的な才能にも注目すべきであろう。

さらにまた、88年の夏にロンドンのデヴィッド・ローレンツのプライヴェート・スタジオでおこなわれたこのアルバムのレコーディング・セッションの途中で偶発的に生まれた楽曲が流用・変形され、その数ヶ月後、イビザ島での記念すべき芙苑晶の 1st 『燐光(phosphorescence)』のレコーディングへとつながってゆくことを考えると、芙苑晶ファンにとっても重要な意味を持つ作品と言えるだろう。

ヌード姿の田嶋エリサ(当時からヌーディスト宣言していた)が目玉の中に映るこのジャケットもテクノ・ミュージックひいてはサイケデリック・アートの歴史に残るのではと思えるほど秀逸で、こういう斬新なデザインがアイディア倒れに見えないのは、コンセプト、音とも、アルバムがそれだけの「作品」としてのクウォリティを持っていることの証左にほかならない。まさに彼らの、青春の、「みじめな奇蹟」がここにある。Lavalamp Records にはぜひ再発してほしいアルバムだ。
 
(上埜邦彦)  
 
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